第五章 霊的知識を深める
3、祖先と子孫について
② 49日までの扱い
「霊界の一つの約束事」
「(前略)人の死するや、仏教に於ては四十九日、神道に於ては五十日祭を以って一時打切りにするが、それはその日を限りとして霊界へ復帰するのである。それ迄霊は仏教にては白木の位牌、神道にては麻で造った人形の形をした神籬(ヒモロギ)といふものに憑依してゐるのである。(後略)」
(「祖霊と死後の準備」 昭和24年8月25日)
「(前略)肉体は霊体を入れたサックの如きもので、使用に堪えねば霊は出て行く。
霊は普通死んでから四十九日まではその家におり、五十日目に行くべき所へ行く。普通はお寺へ行き、神道ならば産土神社又は信仰してゐる団体へ行く。お寺で葬られれば一時お寺にゐなくてはならない。そして間もなく自分の信ずる所へ行く。所が信仰する所がなければ、お寺に長くゐる事になるのである。人間が死ねば煙のやうになると思ふ人は、お寺にもおれず宙に迷ふのである。中有界に迷ふので六道の辻ともいひ、こゝは辻のやうなもので、四方八方どこへでも行けるのである。
此世で死んでも邪神界へ行くものもある。仏界にも地獄、極楽あり、神界でも天国、地獄(根底の国)あり、そこで修業する、といふのは浄化作用が行はれる。罪は苦しまねばとれない。
これを迷信といふ人こそ迷信である。或程度浄化が行はれると生れ代る。霊魂はどしどし殖えつつあり、天国、地獄でも生れる。(後略)」
(「特別講習会御講話」昭和15年11月9日)
「(前略)白木の位牌は長く置いてはいけないですよ。白木の位牌は四十九日迄が本当です。それからは普通の位牌で、それから先は、霊が嫌がります。お気附けがありますよ。人間が間違うと霊界はちやんとその通りに響きます。だから霊界では、行く処に行けないと言う事になる。(後略)」
(御教え集2号 昭和26年9月21日)
「(大阪方面では、不幸があった家では四十九日が終るまでは結婚式とか、そういう事は絶対にしてはいけない事になってますが)
それはそうですよ。
(信者ですが、そういう事がありまして、結婚の日が決まっていたが四十九日間は結婚をできないという事になりますが、四十九日を一週間を五日ずつにするという事はいけないのでしょうか)
それはいけません。四十九日くらい待っても、何でもないではありませんか。それは待つのが本当です。
(それでは待つ方がよいでしょう、と申します)
よいでしょう、ではないので、待たなければならないのです。一週間を五日間にするという事は絶対にできません。太陽が出る事を止めるような事です。
(四十九日が終らなければいけないというのは、謂(イワレ)があるのでしょうか)
あります。霊というものは、亡くなったら五十日の間は其処から離れる事はできないで、其処に居るのです。そうすると死んだ人に対する生きている人間が哀悼の意を表しなければならないので、それが当り前です。それで結婚式というのは目出度い事で、そういう哀悼とか悲しみという事は全然忘れてしまう事になりますから、甚だ面白くない事になります。まだ霊が其処に居るのですから……。重病人がうんと苦しんでいる時に、其処で歌をうたったりするようなものです。(中略)
(四十九日を過ぎると黒の位牌にするのは、理由があるのでしょうか)
あります。白木に字を書いてあるのは仮りであって正式ではないのです。そうして黒の位牌に金で文字を書くのは正式に決められている事なのです。
(四十九日を待たずに黒の位牌にしてもよいのでしょうか)
しかし何にもなりません。そういうように決められているのだから、四十九日前は金の文字の方にはいるというわけにはいきません。だから四十九日が過ぎてから金文字の新しい位牌を作って、それにお移りを願うという、霊界の一つの約束になっているのですから、そのとおりにやるべきです。
(お通夜の場合に、祭壇は御神前で宜しいのでございましょうか)
結構です。
(その場合、御写真、御神体には何かおかけすべきものでしょうか)
かけないで、そのままの方がよいのです。やっぱり霊が救われます。」
(御教え集20号 昭和28年5月1日)
「(人の死後四十九日間は位牌を仏壇の中にお祀りせず、別にお祀りする習慣ですが、都合で三十五日とか七日ですませる人もありますが、それでもよろしいものでせうか。又拍手は新仏には一拍手が正しいので御座いますか。)
四十九日しなければいけない。五十日間は霊は霊界には行けない規則になっている。拍手は一週間は一拍手、一週間後は二拍手で、五十日間は拍手の音をさせない。苦しんで死んだ霊は一週間位はボンヤリしています。又体がバラバラになって死んだ様な場合、霊がもとの形になるのに一週間位かゝります。」
(「天国会会報」昭和24年9月号)