第四章 浄化作用と再浄化

 

① 救 い

 

私の体を機関として大光明世界をつくられる」

「(前略)今晩は観音会の目的たる、大光明世界建設の事に就いて、お話したいと思ひます。
  大光明世界といふのは、読んで字の如く「観音の光」に依って、闇のない世界が出来るのであります。闇の無い世界と云ふ事は、苦み悩みのない世界、罪悪のない世界であります。
斯ういふ世の中が来ればいゝ、斯ういふ世の中を造り度いといふ事は、何千年前からもろもろの聖賢、或は大宗教家等が大いに教を説き、骨を折ったんであります。所が、そういふ世界は、今日まで出来なかった、それに似たやうな世界さへ未(マ) だ出来ません、それはただ、人類の理想だけにとどまるものとされて、そういふ世界が果して、出来るかどうか疑はしいといふのが、今日迄の状態でありました。所がそういふ世界は、確かに出来るんであります。
  今や大急転回を以って、出来んとしつつあるんであります。それで、私は、恰度(チョウド)今から七年前に、観音、即ち伊都能売之大神様から、知らされたんであります。其時には未(マ) だ、本当に出来るかどうか、正直を申しますと、多少は迷ひがないでもなかったんであります。
処が、其の頃から今日迄数限りない奇蹟を見せられました。到底人智や経験では量れない、説明出来ない、驚くべきものなのであります。その奇蹟たるや、悉(コトゴト)く、大光明世界の出来るといふ事を裏書し「絶対に間違ひない」と言ふ事を示されたので益々信念が強くなり、もう自分に依って、そういう世界が出来る、実は、観音様が私の体を機関として、そういふ世界を、造られることが、一点の間違ひないといふ事が判って来たのであります。(後略)」

 

                   (「大光明世界の建設」 昭和10年1月1日)

 

  

「伊都能売思想という高度の文化思想が生まれる」

「(前略)新しい思想とは何かというと、これこそ共産主義に非ず、社会主義にも、資本主義にも民主主義にも非ずという、左に偏せず、右に偏せず、中性でもないという吾々の方でいう伊都能売思想ともいうべき、高度の文化思想が生まれ、やがてはこの思想が今後の世界をリードする事になるので、これこそ深甚なる神の経綸の現われであり、しかも決定的のものである以上、好むと好まざるに拘わらず、必ず実現するのである。即ち本教のモットーである永遠なる病貧争絶無の世界、地上天国が築かれるのである。(後略)」           

 (「これから世界はどうなる」昭和28年4月29日)

 

  

大掃除に助かるには、光をいただくこと」

「(前略)とに角その大掃除に助かるには、光をいただいて、そうして穢れを無くさなければならないというわけですから、とに角救世教信者になった人は、その幸福たるや、とても大変なものなのです。それもだんだん分って来ます。だからキリストやマホメットなども救われたという事は、先に述べた婦人を浄霊している内にキリストや何かが助かってしまったわけです。だからとに角浄霊という事が如何に偉大なものであるかという事は、霊がみんな証明しているわけです。」             

 

(御教え集33号  昭和29年4月6日)

  

「救いをなさるのは神様、人間はその道具」

(救と裁きの関係につき御教示を御願ひ申し上げます。)
 

之は密接な関係があります。裁きがあり善悪があるから、救はれるのと救はれないのが決るのです。普段だって神様は裁いて居られるが、普段の裁きと最後の審判とは意味が違ふのです。
最後の審判に於ては人類全体が裁かれるのです。然し誰でも裁かれない中に悔い改める事が救はれる事なのです。――そこで一番困るのは、人間が人間を裁く事です。之が一番間違ってゐる。あの人はいゝ人だとか何とか言って人を裁くのは、その裁く人自身が裁かれてゐるのです。人を裁く前に先づ自分を裁く事です、反省する事です。他の人をいゝ人だとか悪い人だとか言ふことは大変な間違ひです。又救といふ事にしても、人間が人間を救ふ事は出来ない。救ひをなさるのは神様であり、人間は唯その道具にすぎないのです。然しその道具に使はれる事が有難いのです。」                

 御光話録  昭和23年10月18八日)

  

救いの業としての重点は私の書」

「(前略)之に就て霊的解釈をしてみよう。書にはその人の人格が霊的に印写されるのであるから、朝夕その書を観る事によってその人格の感化を受けるので、そこに書といふものの貴さがあるのであるから、書はどうしても大人物、大人格者のものでなくては価値がないのである。姙娠中の婦人が胎教の為、偉人の書を見るのを可としてゐるが、右の理由に由るのである。
  茲で、私の事を書いてみるが、私の救の業としての重点は書であるといってもいゝ。それは書が大いなる働きをするからで、此説明はあまり神秘な為何れ他の著書で説くつもりであるが、茲では只書道を随談的にかいたのである。(後略)」
                

(「日本美術とその将来  五、書について」昭和24年8月30日)

 

  

「病気は感謝すると共に、歓迎すべきもの」

「(前略)信者はよく知っている筈だが、病気は最高の健康法であり、大いに感謝すると共に、歓迎すべきものであるから、人間は出来るだけ病気に罹るようにすれば、益々健康になり病気には罹らなくなるものである。(後略)」     

 

(「闘病という言葉」昭和27年3月12日)