概 論
3,浄化作用に就いて
3-②-2、感冒について
「風邪の熱は殆んど全部後頭部の右側。後頭部は毒が溜りやすい。上半身から上の熱は殆んどここといってよろしい。」
(特別講習会御講話 S15.11.9)
「(中略)一般的に最も多い病気-即ち感冒をとりあげてみよう。感冒だけは如何なる人と雖も経験しない人はないであらうからである。そうして此病気は今以て医学上原因不明とされてゐるが、私の発見した所によると之は最も単純なる浄化作用の一種である。
それは先づ感冒に罹るとすると発熱・頭痛・咳嗽・鼻汁・喀痰・食欲不振・全身の倦怠感・四肢の痛苦-其他である。之はどういふ訳かといふと、不断に行はれつつある第一の浄化作用によって、全身の各局所に溜結せる毒素が第二の浄化作用によって排除せられんとする活動が起ったのである。(中略)それが感冒的症状である。即ち其苦痛が病気である。世間よく肩が凝ると風邪を引くといふのは右の理によるのである。
以上説いた如く熱は毒結を排除し易からしめんが為の溶解作用であって、其溶解されて液体化した毒素が即ち鼻汁であり喀痰である。又発汗・尿・下痢等にもなるのである。然し液体毒素と雖も尚濃度である場合、排除に困難なる為それの吸引作用が起る。それが嚔(クサメ)及び咳嗽である。嚔は鼻汁を吸出せんが為、咳嗽は喀痰を吸出せんが為の喞筒(ポンプ)作用ともいふべきものである。故に嚔の後は鼻汁が出て咳嗽の後は吐痰するにみても明かである。
そうして食欲不振は発熱と吐痰と服薬の為である。又痛苦は、その局所に溜結せる毒素が溶解し液体毒素となって排除されようとして運動を起し神経を刺戟するからである。咽喉部の痛みは、喀痰中に含まれたる毒素が粘膜に触れる為粘膜を刺戟して加答児を起すからで声が嗄れるのは右の理によって声帯や弁膜が加答児を起し発声弁の運転に支障を来す為である。頭痛は頸部又は頭部の毒素の発熱によって溶解した液体毒素の排除作用の刺戟である。
右の如きものが感冒であるから何等の手当も服薬もせず放置しておけば、浄化作用が順調に行はれて短時日に完全に治癒するのである。故に感冒程容易に浄化作用が行はれるといふ事は全く天恵的ともいふべきである。此理に由って感冒に罹るだけは毒素は軽減するのであるから、感冒を自然治癒で治せば次の感冒は必ず前よりも軽減し且つ感冒と感冒との間の期間も漸次延長し、終には感冒に罹らなくなるのである。
それは、無毒になるから感冒の必要が無くなるといふ訳である。此時期に到ると稀には感冒に罹る事があっても、それは微毒であるから発熱は殆んどなく少量の鼻汁・喀痰位のもので其他の苦痛はないといっても可い位であるから、日常通り業務に携はってゐて殆んど知らぬ間に治ってしもふものである。
然るに今日迄の凡ゆる医学上の理論は之の反対であって、感冒は重病の前奏曲かのやうに恐れられるのであって昔から"風邪は万病の基"などと謂ひ、今日では結核の門のやうに恐れられてゐるのである。然し右の理に由って、感冒は"万病を免れる因"結核に罹らぬ方法であるといふべきである。故に、感冒に罹る事は寧ろ喜ぶべき事で"感冒に罹るやうにする"事こそ何よりも健康増進の第一条件である。
右の理に不明であった今日迄の凡ゆる療法は感冒を恐れ感冒による苦痛を悪化作用と誤認し抑圧すべきであるとして研究されたのであるから、感冒といふ折角の浄化作用を停止しようとするのである。その方法として第一に薬剤を用ひる。元来薬剤なるものは全部毒素であって、昔漢方の其大家は「薬は悉毒である。故に薬を用ひて病気を治すのは毒を以て毒を制するのである」と言ったが洵に至言である。
即ち薬といふ毒物を用ひるから体内の機能を弱らす、機能が弱るから浄化作用が停止されるのである。又氷冷法も浄化作用を停止させるのであるから発熱や苦痛を軽減させる。湿布も同様である。
元来人体は、鼻孔の外皮膚の毛細管を通じて呼吸作用が行はれてゐるので、湿布はその呼吸を停止させるのであるから其部の浄化作用が弱まり、苦痛が軽減するのである。此様な種々の方法は悉く浄化作用を抑圧停止させるのであるから、苦痛は軽減し病的症状が軽減して一旦は治癒の状態を呈するのであるが、それは毒素が排除された真の治癒ではなく折角浄化作用の起った毒素を再び凝結せしめるのであって、いはば浄化作用発生以前の状態に還元せしめた迄である。従而時を経れば再び浄化作用が発生するから又風邪を引く又停止させる復(マタ)風邪を引くといふやうに繰返すのである。
事実そういふ人が世の中には沢山あるのは誰も知る通りである。そうして厄介な事には薬毒がその都度加はる事になるから浄化すべき毒素が倍々増加する事になる。従而漸次悪性の感冒となるのは当然である。其結果として肺炎等が起るのである。
元来肺炎といふ病気は浄化作用の強烈なものである。それは感冒の重症であると言っても可いのである。前述の如く小浄化作用である感冒を抑圧するから其都度毒素が蓄積増大され、それが一時に反動的に大浄化作用となって現はれるのである。(中略)」
(「病気の真因」明医一 S17.9.28)
「(中略)抑々、感冒とは如何なるものであるか。医学に於ては今以て原因は不明とされてゐる。然し私は、私の見地から概略説明してみよう。先づ人間の健康及び不健康とは如何なる原因に因るかといふと、それは血液の純不純に因るのである。即ち健康とは浄血の持主であり不健康とは濁血の持主である。
然るに幸ひなるかな、濁血者と雖も人体は不断に浄化作用が行はれつつあるから、その結果として血液中の汚濁分子は一定の局所に集溜凝結する。即ち曩に説いた如き第一浄化作用であり、次で第二浄化作用が起り、凝結毒素の排除作用が始まる。これを称して感冒といふのである。
そうして発熱によって凝結毒素が溶解し、液体化し、喀痰となるが、喀痰は一旦肺臓内に滞溜する、それを咳嗽といふポンプ作用によって吸出排泄する、此理によって、感冒とは最も簡単なる浄化作用にして、之あるによって濁血者も浄血者となり、健康は増進さるるのである。(中略)
故に、感冒とは、神が人間に与へた大なる恩恵であると共に、自然的生理作用ともいへるのである。」
(「感冒とは何か」結正 S18.11.23)
「(中略)感冒防遏(ボウアツ)の結果、漸次身体各局所に然毒、尿毒、薬毒が集溜凝結するのである。然らば其局所とは如何なる所かといふと、先づ全身的ではあるが、大体は一定してゐる。(中略)
それは頭部の全部又は一部、頸部の周囲、特に左右延髄附近、頸部淋巴腺附近、左右肩部(特に左側)左右の腋窩部即ち腕の付根、肋骨及肋骨附近の全部又は一部、左右横隔膜の下辺、胃部より腹膜部、肝臓部、鼠蹊部淋巴腺(特に右側)左右肩胛骨(特に左側)の下辺及び脊髄の両側及び背面腎臓部等である。(中略)」
(「肺結核」明医一 S17.9.28)(「結核問題」天 S22.2.5)
「(中略)集溜毒素は時日によって固結するが、此固結は或程度に達するや、茲に自然浄化作用が発生する。此浄化作用こそ人間の健康を保持すべき摂理作用であって、実に神の恩恵ともいふべき貴重なものである。
茲で浄化作用なるものゝ詳細を説明してみるが、固結毒素(以下毒結といふ)の排除作用が発生するのである。其場合先づ毒結排除を易からしむる為溶解作用が起る。その為の発熱である。発熱によって毒結が溶解し液体化しそれが先づ肺臓内に浸潤し或時間滞溜する。処が固結が液体化しても未だ濃度である為、今一層液体化の第二次発熱が起る。それで初めて理想的液体となり、それを排除する為咳嗽というポンプ作用が起る。咳嗽の後に必ず吐痰をするのはそれである。自然は実によく出来てゐる。
其際医診によればラッセルが聞え、レントゲン写真には滞溜喀痰が写るから、肺浸潤、肺門淋巴腺、肺尖加答児等の、診断を下すが、之程の誤りはない、何となれば肺臓内にある喀痰は、第二次溶解作用によって外部へ排泄さるゝ迄の暫定的のものであるから此際肺臓は健全であって、何等異常はないのである。
故に何等手当もせず放任しておけば喀痰は自然に出るだけ出て治癒して了ふ。而もそれだけ病毒が減った以上、寒冒以前よりも健康体になるのは当然である。
寒冒の場合の頭痛は、頭脳内にある毒結が強力浄化である第一次発熱によって、一旦肺臓内に滞溜するのは前同様である。其際液体が肺臓内へ移行する作用が、神経を刺戟する、それの痛みである。其他後頭部、延髄附近の毒結溶解は、嚏といふポンプ作用によって鼻汁となり、又浅部の毒素は発汗となり、上半身のそれは盗汗となり、下半身のそれは多く尿となるのである。此理が判れば寒冒なるものは、如何に有難いかが、知らるゝであらう。」
(「結核は治る 感冒」自叢一 S24.6.25.)
「(中略)寒冒は実に簡易な浄化作用であるから、人間は出来るだけ寒冒にかかるべきで、之ほど有効な衛生法はない。全く天の与えた唯一の健康法である。」
(「感冒と肺炎」自叢一 S24.6.25.)
「(中略)そうして右の如く病原としての毒素固結であるが、此原因は先天性と後天性と両方ある。先天性は勿論遺伝薬毒であり、後天性は生れた後入れた薬毒である。処が其両毒は人間が神経を使ふ局部へ集中固結する。人間が最も神経を使ふ処としては、上半身特に頭脳を中心とした眼、耳、鼻、口等であるから、毒素は其処を目掛けて集中せんとし、一旦頸部附近に固結するのである。
誰でも首の周り、肩の附近を探ればよく分る。其処に固結のない人は殆んどないといっていい。而も必ず微熱があるのは軽微な浄化が起ってゐるからで、頭痛、頭重、首肩の凝り、耳鳴、眼脂、鼻汁、喀痰、歯槽膿漏等は其為である。処が毒結が或程度を越ゆると自然浄化が発生するし、其他運動によって体力が活溌となったり、気候の激変によって自然順応作用が起ったりする等の諸原因によって風邪を引くやうになる。よく肩が張ると風邪を引くといふのは之である。
又咳嗽は液体化した毒結排除の為のポンプ作用であるが、之は首の附近とは限らない。各部の毒結もそうである。次に嚏であるが、之は恰度鼻の裏側、延髄附近の毒素が液体となったのを出すポンプ作用であるから、此理を知れば実際とよく合ふ事が分るのである。
右の如く頭脳を中心とした上半身の強烈な浄化作用が感冒であるから、此理屈さへ分れば、仮令感冒に罹っても安心して、自然に委せておけばいいので、体内は清浄となり、順調に割合早く治るのであるから、此事を知っただけでも、其幸福の大なる事は言ふ迄もない。」
(「病気とは何ぞや」文創 S27)
「(中略)人間は誰でもオギャーと生れるや、例外なく先天性毒素を保有していると共に、生長するに従い、大多数の人は後天性毒素をも追加する。之は別項に詳しく記く事として、右の両毒素こそ結核の真の原因である。
今一つ重要な事がある。それは人体に於ける自然良能力の活動である。それは一秒の休みもなく、不断に浄化作用が行われている事である。浄化作用とは体内にある凡有る毒素の排除作用であって、此過程をかいてみるが、元来右の両毒素とは、血液中に含まれているというよりも、充満していると言った方がいゝ位の所謂濁血である。
処が此濁血に対して浄化作用が発生し、それによって毒素分は分離し、毒血又は膿となって体内各局所に集溜する。其場合主に神経を使う箇所に限られているので、人間が神経を使う処といえば、上半身特に首から上で、頭脳をはじめ、目、耳、鼻、口等であるから、其処を目掛けて集溜せんとし、一旦其手前に固結する。
如何なる人でも頸の周囲を探ってみれば、淋巴腺、延髄部、扁桃腺等の部に必ずそれがあり、微熱もある。すると此固結が或程度に達するや、自然浄化作用が発生する。此浄化作用こそ所謂感冒であって、感冒に罹るや発熱が先駆となるが、之は右の固結を出易くせんが為の熱で、此熱によって溶解し、液体化したものが喀痰であり、鼻汁であり、盗汗、濃い尿、下痢等であるから、感冒とは全く体内にあってはならない汚物の排除作用である。
「風邪が流行ってますが、(中略)今度の風邪のしつこいのには驚いてしまいました。(中略)しかし風邪はなおるに決まったものですから、苦しくない限りは幾ら仕事をしても差し支えありません。ところが約半分くらいは風邪を引いている様な話ですが、この時期に風邪を引かない人はどういう人かと言うと、うんと固まっているのです。固まり方が強いのです。ですからこういう人が溶け始めたら一ぺんですから大変です。無論肺炎の様な、ごく重いわけです。
ですから今風邪を引く人は幾らか溶けやすい方ですから、非常に結構なのです。大事なく済むわけです。ところが折角溶けかかったものをワクチンとか、いろんなもので固めますから、それだけは始末が悪いのです。要するに今風邪を引かない人は、ごく頑固な人なのです。素直でない人なのです。だから一番頑固であって非常に危険性があるわけです。だから今度風邪を引かない人は大いに注意しなければなりません。
では、これは一体何処の浄化かと言うと、私のは、最初は目茶目茶に水洟が出たのです。鼻紙が山の様になるくらいでした。それは何処の毒かと言うと、頭全体の毒が溶けたのです。それが二、三日出ましたが、それが済むと頭が非常に軽くなりました。それから歯が痛くなりましたが、歯を浄霊すると水洟が出ました。ですから水洟は歯からも出るのですから面白いです。
それが一旦なおってヤレヤレと思っていると、腰から足がだるいのです。それで"おかしいな、これは一体何処の浄化かな"と思ってましたが、熱があって寒気がするのです。ですから一寸仕事をして、十分か二十分寝ないと、どうも足が変なのです。ところが見ると、下腹の方に浄化を起しているのです。それでやっぱり、ここから咳と痰が出るのです。
ですから風邪と言うと、肩か胸か首の廻りと思ってますが、とんでもない事です。下腹が風邪の原因という事になります。そこを浄霊すると熱が冷めて、寒気がするのがとれました。今度の私の風邪は、頭全体に歯茎に下腹です。だから普通の人が、風邪を引いても分らないわけです。それから外の風邪引きでは、家の者は皆ほとんど風邪を引きましたが、調べてみると首の廻りです。腹などは少ないのです。ですから、頭、首の廻り、肩という様な所を浄霊すれば間違いありません。
女中の一人でばかに咳をするので、見ると、ここ(延髄)に固まりがあるのです。それを溶かしたら止まりました。それで、ここならここが溶けて、それは何処へ行くかと言うと、一旦肺にはいって咳と痰になって出るのです。ところがそこで一生懸命に手当をしたり薬をのんだりしていると、肺にはいった痰が固まってしまって、これが結核の因(モト)になります。
そこで結核の原因というものは体中にあるわけです。それは肋間神経痛で咳が出る者もありますし、背中から出るのもありますし、股から出たりします。それがみんな一旦肺にはいってくるのです。腰の辺から出る咳もありますし、それが因で肺病にされる者があります。だから胸の病というのはおかしいのです。
ですから胸の病というのは医者がつくったものです。中には額から咳が出る人があります。額を浄霊すると咳が出るのです。だから肺病などで青い顔をしている人は、額の病、股の病、と言っていいです。胸の病というのは本当ではありません。中間を言っているのです。それについて風邪引結構という論文を書きました。(中略)」
(「御教集18号」 S28.1.26.)