第六章 正神と邪神

 

2、邪神について 

 

② 邪神の手口

             

「今までの文学を邪神は利用していた」

「今迄の文学は神様の御用でなく、邪神の御用をしたのが大部分だった。人を良くするのではなく、その文学により悲観的、厭世的、懐疑的になったりする。人間の善い面より悪い面を伸ばす働きが非常に多い。そして、人間はそれに興味を覚えた。(読むと魂の善い面が眠ってしまふ)今迄の文学家のそれは大体西洋から思想が出ている。世の中を明るくするとか良くするとかいふ事はない。懐疑を起したり、悲劇を起したりするのが多かった。それは夜であったからそうなった。あまりひどいのは神様が処理する訳である。これからは本当の明るい文学が出来る。(神様が処理するから、之が早死の原因だし、よく精神病の原因になる。幸田露伴は長生きした)
  斯ういふ人の書いたのは酷いのがある。然し、一面医学にやられる点がある。悲観的な事は薬毒が深い。頚に溜るからである。芥川などはそれである。子規の如き、尾崎紅葉の如きもそれである。「夏痩せや薬とりにまかれ日和下駄」と言った。」    

                                                       

  (講話集補 S○・8・7)

                    

「邪神の仕組、手口について」

「これは誰も知っている事だが、昔から宗教というものは、いつの時代でも初めどこか普通人と違った処のある人間が、一念発起と共に世を救わんとの願望から一宗一派を立て、教義を作り、相当人助けをしてる内、漸く世間から認められ、愈々これからという時になると、必ずと言いたい程妨害が現われる。この大きい例が釈迦に提婆、キリストにサタンとして誰も知っているが、然もその宗教に力があり、将来性があればある程、排撃弾圧も酷いのである。そこで彼等は先ず時の権力者を動かし、世人に憎悪感を起させるべく、巧妙な理屈やデマをデッチ上げ、宣伝これ努める。曰くアノ宗教は人を瞞し、遂には家をも亡ぼすような恐ろしい迷信であるから、決して触れてはならないというように思わせる。勿論調べもせずして独善的に決めてしまい、社会的信用のある人士や、一流の言論機関等を扱う人を自由にするのも、皆邪神が憑依しそう思わせるのであるから、御本人は一向気がつかず、自己意識と思っていると共に、一般人にも邪神の仲間が憑依し、両者相呼応するのだから堪らない。これが邪神の仕組である。(後略)」

 

     (「正邪の戦い」地50号  昭和28年7月25日)

「(前略)世間よく神様の罰(バチ)があたるといふ言葉があるが、之は邪神系の神様である。何となれば、罰といふ事は人を苦しめる事であるから、人間に対し、絶対愛より外にないのが正神であるから、そのやうな事はない訳である。又金を上げれば病気が治るといふやうな神様も邪神である。何となれば、金を上げれば病気を治すといふ事は一種の交換条件であって、いはば神対人間の取引のやうなもので御利益を売る訳であり、実に浅間しき限りである。之等は正神は聴届け給ふ事はないので正神は、人間からの報酬や条件などに関はらず、無我愛に救はせ給ふのである。
  右の如く、金銭を上げさして、幸に病気が治ればいいが、反対に不幸な結果を来す事も往々あるから、そうした場合一度上げた金銭は決して返還しないのである。丁度、品物を売買の場合前銭をとっておいて約束の品物を渡さないのと同様であって、之等は神様を看板にして行ふ一種の詐偽的行為といっても差支へなからう。然るに、斯ういふ目に遭った場合、相手が神様であるから、後の祟りを恐れて泣寝入に終るといふのが常態である。故に、之を奇貨として布教師等が病人の懐を絞るといふ行為を見受けるが、実に赦すべからざる罪悪で、世人は斯様な事に騙されぬやう大いに注意すべきであらう。従而、世人が心得おくべき事は、神仏を信仰する場合、顕著な御利益があり、如何に考へても、神仏の御加護に違ひないと思はれるやうな事があった場合、その感謝の誠を捧げるといふ意味で金銭又は品物を上げるのが本当である。
  又、よくその宗教の信者が「その信仰を離れれば罰が当って不幸になる」とか甚だしきは「一家死に絶える」などといふのがあるが、これ等は、神が人間を脅迫する事であり、邪神である事はいふまでもない

  又、自己の願望を神に祈願する場合、正しからざる事。例へていへば人を呪ひ或は自己の欲望の為社会を毒し、他人に迷惑をかけるやうな事等の願を聞届け、幾分でも成就させる神は邪神であって、正神に於ては正しき願事以外は聴届け給ふ事はないのである。以前私は友人から聞いたのであるが、盗賊の常習者の団体が講中を作って、或有名な神社へ参拝するのであって、そうする事によって、容易に捕まらない御利益があるといふのである。之等は実に怪しからぬ事で、神様に罪があるのか人間に罪があるのか分らないが、真実とは思はれない位の話である。
  此意味によって、正しい神仏か正しい宗教であるかといふ事は、何よりも常識によって判断するのが一番間違ひないのである。奇嬌なる言説や態度等は勿論、些かなりとも国家社会の秩序に反するやうな点があれば、それは邪教と見做すべきである。(中略)

悪魔の心裡は一言にしていへば、神の御意志とすべてが相反するといふ事である。即ち人に災厄を与へ苦しめ、絶望せしめ、不幸のドン底に陥れ、遂には滅亡さしてしまふといふ、実に人間として想像し得られない残虐性を有ってゐるものである。故に、一点の慈悲、一掬(イッキク)の涙さへないので、それが悪魔の本性であるからやむを得ないのである。右の如く人間を苦しめる事が、悪魔にとっては、実に愉快で、無上の喜びであるらしいのである。(後略)」

 

                   (「神と悪魔」昭和18年10月23日)

 

                

「邪神の任務と手段」

「(前略)そうして邪神にも頭目があり、今最も活躍してゐるのは、赤龍竝びに黒龍で、その眷族に至っては、無慮十億近くに上るのだから大変なものである。
彼等にも上中下の階級があって、階級により夫々の役目がある。彼等と雖も命令された仕事は忠実に成し遂げやうとして一生懸命である。といふのは其功績次第で出世もし、論功行賞にも与る張合があるからである。勿論総本部に鎮座まします頭目からは、一々指令が出て、霊線を通じて、人間に憑依せる副守護神に伝達されるのである。此場合人間界に於る其人の地位や階級に相応する眷族が働きかける訳で、彼等の任務としては凡ゆる手段を講じて、人間を悪に悪にと導こうとする。

  それが今日の世相に遺憾なく現はれてゐるから厄介だ。而も其手段たるや実に巧妙残虐極まるもので、例へば下級の人間には殺人強盗とか、暴行とかいふやうな兇悪犯罪を行はせるが、少しマシなのになると詐欺や、貨幣、證券、書画等の偽造をさしたり、又婦女子などを言葉巧みに誘拐したり、姦通などを面白がったりする。其上になると余程高級で、善の仮面を覆って知謀的犯罪を行はせる。人の財産を捲き上げたり人を瞞して金儲けをさしたり、贈収賄、涜職、脱税、隠匿物資、闇の売買等は勿論、酒を呑ませ、婦女子を弄ぶ等も彼等の常習である。

  以上、何れも其行為が発覚すれば法に触れ犯罪者となるから、誰が目にも悪人に見られるがそれらと異なり善の仮面を覆らせ、悪を行はせる場合もある。之等は比較的中流以上に多く、特に智識階級に最も多いので、大いに注意を要するのである。例へば常に誰が目にも正しいと思ふやうな説や、何々主義などを真理と思はせるやう口や文書にかいたりして、世人に信用をさせ、蔭ではそれと反対の行ひをしてゐる。此種の人間は智識人で信用があり、頗る巧妙なので、其可否は一寸判り難い程である。之等は政治家や、名士論客にも多く、社会的相当の地位を占め、人から重んじられてゐる人もあるから、仲々油断は出来ないのである。(中略)

茲で全然人の気の付かない罪悪がある。それは立派な学説と思ひ、それに身を挺して実行してゐるが、実は人類に禍を与へてゐるといふ気の毒な人達もある。以上説いた者は、何れも邪神が操っているのであるが、科学で固まった頭脳では到底判りようがないのである。(中略)
  要するに、一切は主神の経綸であって、文化発展上、正邪相争ひ、明暗、美醜相混り、斯くして一歩々々理想に近づくので、之も深奥なる御神意であって、到底人智の窺ひ知るを得ざる事を知るべきである。」

 

              (「邪神活躍」 昭和25年12月25日)

          

「邪神は人間の曇りを利用して妨害する」

「(前略)以上の如く、神の意図によって断えず人間に命令を下しつつある。それは如何なる手段によるかといふに、霊層界に於ては人間一人々々の種が存在する。此種を私は名づけて幽魂といふ。此幽魂に先づ命が下るのである。然るに幽魂は人間霊体の中府に在る現魂に向ひ霊線を通じて神の命を伝達するのである。然し乍ら一般人間が神の命を直感し得る事は至難であって、或程度浄化されたる霊体の保有者にして可能である。それは大多数の人間は多量の曇りに遮られ、感知出来ないばかりか、其曇りを利用する邪神によっても妨害されるからである。(後略)」

 

                       (「霊層界」天  昭和22年2月5日)

 

「邪神は眉間を占領すれば、その人を自由にすることが出来る」

「人体は腹の真中と前頭部の奥とで天と地となり相通じ合ってゐるのです。ですから高天原を人体で云へば眉間です。邪神がつくと眉間へ来たがって仕方がない。眉間を占領すればその人を自由にすることが出来るから。そこで眉間へ来れぬ時はその人を怒らせる。怒ると頭の霊細胞が薄くなるから眉間へ来れるのです。その中又気持が平静になり霊細胞が濃くなると邪霊は下の方へ下るのです。ヒステリーなんかは之です。又狐の霊なんか憑くとよく喋るんです。女でよく喋るのは狐です。又威丈高になって相手に物を言はせないのもさうです。」      

 

 (昭和23年6月8日)

 

  

「邪神は邪魔するために、あの手この手でやってくる」

「(前略)邪神の何んな奴でも私の側にも寄れませんからね。そこで、私の周囲の者にですね。之はちよいちよいやるが、それも長くは憑けない。大抵数分位ですね。何時間も憑けない。之は良く判るので――何か、お祭りがあるとか、重要な人と面会する時、私に腹を立たせ様と言うんです。自分には分らないんですが、邪神がやるんです。それ以上は憑けないんです。それから、信者の人でも、ちやんと信仰の固まつた人には何うする事も出来ないから、新しくやつて来る人とかを邪魔しようとして、あの手この手でやるんです。だから、信仰に入ろうと言う人が入らなかつたり、来る人が来なかつたりするんです。昔は、邪神の方も大分強かつたが、この頃は年々弱つている。だから信者も増えていくんですがね。(後略)」             

 

(御教え集3号  昭和26年10月11日)

 

           

「巧みに屁理屈をつける邪神の手口」

「邪神は理屈をつけるのが実に巧い。あまり反対のある時は、当分遠退いた方がよい。いくら先方が間違っていても、怨みが来て邪魔するから、一旦気を抜いて時期を待って行った方がよい。」                                                         (講話集補  S23・8・21)

                     

「脅迫信仰は邪神」

「(前略)それから、「この教へから抜けると一家死に絶える」とかいろんな事を言ひますがね、そんな事は絶対ないんです。こんな脅迫による――つまり脅迫信仰ですね、之は間違ってるんです。神様ってのは大慈大悲なんですからね、こんな事は絶対ない。正しい神様の御働きにはないんです。こんなのは必ず邪神ですよ。
  然し、信仰をよしますね、すると――邪神ってのはどうにかして出来るだけ人間を苦しめようと始終隙を狙ってるんですが、それが今迄は神様の御守護によって隙がなかったが今度信仰しなくなって隙が出来ると、そこへ邪神が災ひを与へるんです。それが丁度、罰が当った様に見えるんです。

  脅迫して信仰させるっていふのは間違ひですよ。そんな事をすると、脅迫する人の方へ災ひが来るんですがね。だから、信仰でも何でも正しいっていふ事が何よりの強みですよ。信仰しなくたって正しい人には災ひなんかない筈なんです。然し、本当に正しいのは、信仰でなくちゃ続けられないんです。見えざるものを信じなくちゃ、本当に正しくはなれないんですよ。誰も見てないからこの位の事したって構はないだらう――って間違った事をしようとする心がどうしても人間は起るものなんです。所が、信仰してると、神様が見てらっしゃるからこんな事は出来ないと思ひますからね。だから、どうしても信仰が、正しい信仰が必要なんです。」                    (御光話録14号  昭和24年8月23日)

 

  

 「順序を乱し、順序を狂わすのが邪神の手法」

「(前略)霊界は出鱈目(デタラメ)ではないので、実に厳格になってますから、霊主体従の法則によって、順序が違っているとそれだけ影響がきますから、苦しかったり思うようにゆかなかったり、何んだか気持が悪いものです。ですから、私がこうして高い所で喋るから、喋りよいし、又あなた方も聞きよいのですが、これが逆になったら変なものです。ですから「神は順序なり」で、神様は非常に順序がやかましいのです。仏様を拝む度に祖霊が沢山来ますが、それは実に順序がキチンとしています。大先祖は上段に居て、それからだんだん新しい先祖ほど下にゆき、親子兄弟、親戚と、その順序は正確に並んでいるわけです。
だから家庭でもいろんな場合は、親子兄弟の順序を出鱈目にしないようにするのです。そうすると何時も気持よく平和にゆくのです。争いや言い合いがあったりいろいろしますが、そういう時には坐る事とかいろんな事でみんな順序が違っているのです。それで親が座る所、長男、次男の坐る所と、決まっているのです。それで食事の時に順序がチャンとしていると気持よくゆくのです。それが順序が違っていると食事中に喧嘩したり気持が悪い事があるのです。そういう事は些細(ササイ)な事のようであって、大きな事です。

ところが霊界にはいろんな邪神も居るし、反対派の方の霊が居て、それが順序を壊そうと始終やっているのです。それが体に写っていろんな事があります。それで私を邪神は始終狙っています。しかし光が怖いから側には来れないが、遠まきにやっているのです。何かあると、これは邪神がやっているなと直ぐに分りますが、それでとんでもなく順序を変えるのです。詳しく言うとこんな事で影響するかと思いますが、私を下にしようとするのです。と言っても目に見えるようにではないので、それは実に微妙なものですが、そうすると私の光がちょっと跡切(トギ)れるのです。それで跡切れるほど邪神の寿命が延びるのです。それはどうせ自分達はもう長くないという事は分っているのですが、やはり邪神としての権力を持ってますから、その権力を一日でも長くさせたいのです。そこで私の光を妨げるのです。今までのいろんな事件もみんなそれです。それによって一時延びるのです。しかし私の方がだんだん強くなって、しまいには先が往生します。それからがミロクの世になるのです。(後略)」     (御教え集26号  昭和28年9月5日)

 

   

「邪神は善の仮面を被っているので注意が必要」

「(前略)こつちを一番憎んでいるのは邪神です。人を救うとか世の中を良くするという事はけしからん野郎だ。何んとかしてやつつけなければならないと、それが今迄のこつちの問題だつたのです。
        「然し邪神ばかりでなく、正神もありますから」
  そう、正神の顔をしているのもありますから――。邪神というものは決して悪を標榜していません。皆善です。それで皆一杯喰うのです。それは大きい邪神程善です。医学と同じです。医は仁術なりと言つて――ですから私の本に書いてあるでしよう。悪を善と信じて行う悪が一番恐ろしいと、ですから理窟をつけて尤もらしくしますが、非常に良い様に見えて結局は悪なのです。それが邪神のやり方です。


        「その事で一番上手(ウマ)いのは共産党で――」


  そうです。然し一番上手いのは医学です。之は一番です。兎に角医学が邪神の一番成功したものです。それを今度は「文明の創造」ですつかり書いてあります。九分九厘と一厘というのはそういうわけです。医学というのは人間の生命を握るのですから、医学に全部生命を握られているのです。それを私が離そうとしているのです。九分九厘を一厘で引繰返そうとするのです。二千年以上かゝつて斯うしたのですが、それを一ぺんにして引繰返すのですから、驚天動地の場面でしよう。その小手調べとして「⇒結核信仰療法」をやつているのです。その内に「⇒文明の創造」をやるのです。文明の創造を世界中に行渡らせて、それから世界の大破壊となるわけです。病人もありますし、それは大変なものです。そうして、何うしてもメシヤ教に縋らなければ助からないという事になるのです。 (後略)」     (御垂示録13号  昭和27年9月1日)

 

 

「邪神は悪い事を、善い事、正しい事の様に思わせるもの」

「(前略)最初から邪神と判られては人間の方で警戒するから、邪神の目的は立たぬ。どこまでも正神と見せかけて間違つた事、悪い事を、善い事、正しい事の様に思わせるものである。邪神はいはば人間界の詐欺師のようなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、余程はつきりとした眼識をもたねばならぬ。
  私の「信仰雑話」をかいたのも、一つはそういうものにしつかりした判別力を植付けるためでもあるから、どうしてもこれによつて智慧証覚を磨かねばならぬ。随而邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのである。

(後略)」                       (教えの光 昭和26年5月20日)

          

「邪神は善の仮面を被って悪を行わせる」

「(前略)処で邪神なるものは目に見えない霊ではあるが、仲々油断のならないものである。というのは邪神は凡ゆる人に憑依して悪い考えを起させ、悪い智慧を与え悪い事をさせようとする。然し悪いといっても詐欺や泥棒、喧嘩や暴力、放火、人殺し等は、誰が見ても悪であるから反って始末がいゝ位だが、それ等と異って善の仮面を被って悪を行わせる、此奴が最も恐ろしいのである。(中略)

  そうかと思うと科学さえ発達させれば、人類の福祉は増進すると思い、それには神を否定する事が肝腎と思い、宗教は迷信として排斥する。又芸術は文化を向上させ、人間の趣味を豊かにさせるコンマ以上のものとして得々としているが、それには違いないが、近来流行しているような妙な文字や絵画は其逆効果が厄介だ。(中略)
  以上の如く私は数例を挙げてみたが、其根本は曩に述べた如く邪神が憑依し、善と思わせて悪を行わせるものであるから、此点に充分注意して瞞されないようにされたい。」
                          (「邪神というもの」昭和26年10月1日)

 

                     

「邪神は蜘蛛を使う」

「邪神は多く蜘蛛を使う。大きい蜘蛛は邪神が憑依する。この人を苦しめようとの邪霊か邪神かが憑ってやったと思えばよい。蜘蛛は気をつけるべきである。」                  (年代不詳)