① 再 生

                               

「再生について」

「(前略)人が人に生れることを再生と言い、天から下るを降誕と云う。高貴の人の生れるのを生誕と言い、普通の人の生れるのを誕生と言う。又出生ともいう。神様等のお生れを降誕と言うているのは良く判る。(後略)」               

 

(「人の生死の状態」 昭和10年8月15日)

「(前略)先づ簡単に説明すれば、人間は死後霊界に往く、即ち霊界に生れるのである。仏教で往生というのは「生れ往く」とかくが霊界から見ればそういえる訳である。然るに霊界は、その人が現界に於て犯した種々の罪穢に対し浄化作用が行はれ、或程度浄化された霊から再生する。然るに前生に於て悪人であった者が、刑罰や其他の事情で死に際して悔悟し、人間は悪い事は決してするものではない、此次生れ更った時は必ず善人になろうと強く意(オモ)ふので、再生するや大いに善事を行うのである。
此理によって現世生れ乍らの善人であっても、前生は大悪人であったかも知れない。そうして人間は生前に死後の世界在るを信じない人が多いから、死後霊界に於て安住が出来ず、生の執着によって浄化不充分のまゝ再生する。その為に罪穢が未だ残存してゐるから、その残存罪穢に対し現世に於て浄化作用が行われる。浄化作用は苦しみであるから、生れ乍らの善人であり乍ら不幸であるのは、右の理に由るのである。
又生れ乍らにして不具者がある。例えば盲目とか聾唖、畸型とかいうのは、変死に因る死の為、その際の負傷が浄化半途にして再生するからである。此再生に就て今一つ顕著な事実をかいてみよう。嬰児が出産するや、その面貌が老人の様なのがよくある。之は老人が再生した為で、二三ケ月経ると初めて赤児らしき面貌になるもので、之は経験者は肯くであろう。(後略)」
                         

(「霊線について」 昭和24年1月25日)


「(前略)生れ乍らにして畸型や不具者があるが、之は霊界に於て、完全に浄化が行はれない裡(ウチ)再生するからである。例へば高所から顛落して手や足を折った場合、それが治り切らないうちに生れてくるからである。
  又早く再生する原因として、本人の執着のみでなく遺族の執着も影響する。世間よく愛児が死んでから間もなく姙娠し生れるといふ例があるが、之等は全く死んだ愛児が母親の執着によって早く再生するのであるが、斯ういふ子供はあまり幸福ではないのである。
  人は生れ乍らにして賢愚の別がある。之はどういふ訳かといふと、古い霊魂と新しい霊魂との差異によるのである。古い霊魂とは、再生の度数が多く現世の経験を豊かに持ってゐるからで、これに反し新しい霊魂とは霊界に於て新生して間もないものであるから、経験が浅くどうしても愚かな訳である。(後略)」             

 

 (「生と死」昭和22年2月5日)

                

「人間の再生には遅速がある」

「人間の再生には非常に遅速のあるものである。そうしてその再生の遅速は如何なる理由に由るかといふに、それは其人の意志に由るのである。例へば、死に際し現世に執着をもった者ほど早く再生するのであるが、然し、之は結果が良くないのである。何となれば、霊界なるものは、最も厳正に浄化作用の行はれるものであるから、霊界に長く居れば居る程浄化され、霊体は浄まるのである。浄まった霊体ほど再生して幸福者となるのである。此理によって早く再生する場合は、汚濁が残存してゐるから、再生の後現世に於て浄化作用が行はれなければならないからである。勿論現世の浄化作用とは、病気、貧乏、災ひ等の痛苦であるから不幸な運命を辿るといふ訳である。故に、生れ乍らにして幸不幸があるといふ事は右の理に由る事が多いのである。故に、決して幸不幸は偶然ではなく、必然である事を知らなければならない。(後略)」

 

               (「再生」 昭和18年10月23日)
           

 

「動物は人間扱いをしてはいけない」

「(【お伺】因縁の動物は前世の直系の家でなくとも、例えば従兄弟の家にでも飼われる事はござましようか、又因縁の動物と思われるものに対しては、来世人間への再生を神様に御願い申上げる為に、人間に対すると同様に其動物に対し、善言讃詞等を奏げて宜敷うございましようか、御伺い申上げます。)   

    
【御垂示】勿論、因縁のある原流でなくては生れないものである。但し人間の扱いといつても神様に御願いする事や、善言讃詞を聞かせるのは結構であるが、人間扱いをして楽をなどさせるのはいけない。動物はどこ迄も動物的に扱うべきで、そうすればその修業によつて人間に再生するのである。」                  

                                           

(地上天国26号  昭和26年7月25日)

  

「中性とか双子、三ツ子について」

(中性に就て御伺ひ申し上げます。)


中性といふのは男と女と両方で、之は治りませんね。無論霊的です。前世に関係があるんですがね。医者に行くと、男になりたいか女になりたいかと言はれ、希望する方を残して他を処理してしまふのです。そうするとちゃんと男なら男、女なら女になります。之は前世で心中なんかしたのが再生した場合になるので、来世までも離れまいといふ想念の為、今度は離れない所か一つになってしまうのです。(中略)

 

(双子と三ツ子は霊的に違ふのでせうか?)


三ツ子の方は動物的ですね。双子の方は恋愛や同性愛の様に仲のよかったのが再生するのです。」    

 

(御光話録4号  昭和24年2月18日)

 

「再生はある程度自由に出来る」

(死後、其の霊が現界に執着が強い場合、現界に再生する事もあるように伺って居りますが・・・)


  霊は勝手に再生する事が出来るから、浄化が完全に行なはれない中に生れて来る。勿論或期間は出来ない。不具者などは、生に対する執着が強い為、完全に浄化が行なはれない中に生れてくる為である。
  現界で汚れて、霊界で洗濯するようなもので、長くいればいる程きれいになる。」

 

                     (昭和23年11月24日)