第六章 正神と邪神

 

2、邪神について 

 

③ 邪神の正体

              

「邪神で一番力のあるのは赤龍、黒龍」

「(前略)私を苦しめるのは、邪神の大きな親玉です。処が時期も違つているし、霊界も余程明るくなつている。霊界の中に又霊界があり、その奥の――神道で言う幽玄界ですが、そこは殆んど昼間になつている。その次の霊界が、未だ暗が残つている。今は邪神の何んな強い奴でも私には敵(カナ)わない。邪神のうちで一番力のあるのは赤龍、黒龍ですね。(後略)」
                          

 (御教え集3号 昭和26年10月15日)

 

「(前略)乙姫の統一した間を「暗の世」と言う。乙姫ともかくのであって、此の乙姫の姿は黒龍である。黒龍は悪龍である。」 

                              

(「第三講座  神界の支配者  盤古神王大自在天」昭和10年8月5日)

「(前略)赤龍-サタンである。黒龍-強悪最も甚だしい悪龍である。海龍-龍宮の乙姫の事である。」 

 

(「第四講座  龍神界」昭和10年8月15日)

 

「黒龍は龍宮の乙姫であり、赤龍は「サタンは赤い辰なり」といい、共産主義で、世界の三分の一位握っている。」                      

                                                   (「講話集補」年代不明)

                

「邪神の本元はサタン(赤い龍)」

「(前略)天照大神は女で、父君が伊都能売尊で、天照天皇の皇后で、天照皇后が天照大神である。天照天皇は或事情で葬むられた。その時伊都能売大神は日本を脱出せられ、印度へ渡られ、観自在となられた。印度の自在天の世を観てる事である。日蓮宗の曼陀羅にあるが、自在天は悪魔に騙され、最初は良かったが、インドは段々悪くなった。その邪神が大六天の魔王で、一名帝釈天といふ。帝釈天は邪神の顔をしてゐる。
  支那は盤古神王の系統が統治してゐた。神農ともかく。漢方薬の絵によくある。日本は伊都能売大神であらせられた。

  盤古はよい系統だが、漢方薬を発見して、人間を助けようとした。故に漢方薬は非常に悪い。此奥に大変な邪神がゐる。此系統は邪神系にやられた。
  猶太は未だ言えぬ。各国に邪神の表はれがあり、邪神の本元はサタン(赤い龍)で、大活躍してゐる。共産主義を作った邪神である。サタンの眷族は皆龍で、今龍は大変活躍してゐる。龍は東洋が多かったが、今は外国は赤龍が多い。今度の事件も赤龍が査べてゐる。それを神様が使ってゐる。今日本は狐が多い。狐と龍神が活躍してゐる。(後略)」    

 

 (「御講話(速記)」昭和25年8月1日)
             

 

「キリストとサタンの因縁」

「聖書に「サタンは赤い龍なり」とあり、悪魔の頭目である。共産主義はサタンである。
  釈迦に提婆というように、キリストを始終苦しめてるのがサタンである。パリサイ人も反対派である。
  之は普通の人間がキリスト教を嫌う如く、明主様と、昔からサタンは戦っている。短刀をもって殺しに来た事もあるが、之は頭から顔から全身真赤であった。」             

 

(講話集補 年代不明)

      

「邪神は何億と居る、それで階級が色々ある」

「つまり、邪神側はあの手この手でやつている。邪神のうちでも色んな、専門々々がある。智識階級があり、学術専門とか――智能犯的なものですね。そう言う専門が、つまり共産主義を作つたマルクスと言うのであり、そう言う邪神が憑つて書かせた。
  だから一時は理窟がありそうだが、結局は駄目です。それから、戦争専門の奴がある。ヒツトラーとか――色々な戦争で大いに偉くなつて、思いの儘にやろうと言う。そう言つた親玉もある。だから、こう言う邪神のやり口をみると、一番分るのは、残虐性がある。愛がない。自分の出世の為なら人が苦しんでも、命を取つても平気なんです。邪神でないのは、そこに慈悲とか愛がありますから、そこで直ぐ分る。(中略)

邪神は何億と居るんです。それで階級が色々ある。神界――神様の方と大体同じですね。そこで、信者一人々々を引落そうとして狙つている。ですから信者の人でも、一寸考え違いしたり、迷つたり。良いと思つて間違つたりする。大本教のお筆先に「今は悪神がそこら中入りて居り、一寸の隙もないぞよ。何時なんどき悪神に儘にされるか分らないから、気をつけるが上にも気をつけたが良いぞよ」とある。皆んな、信仰にある者は、抜身の中にある様な気持で、一寸の油断も出来ないと言う意味で、中々旨い事を書いている。
処が神様にちやんと手を合わせていると、御守護があり、憑けないで退いて了う。と言う訳だからそこで旨くいくんです。そう言う訳なんです。それですから、色んな宗教――信仰もあるけれども殆んど邪神がやつている。(後略)」    

 

(御教え集3号  昭和26年10月15日)

               

「天魔羅刹、夜叉龍神について」

「【問】善言讃詞の中に、天魔羅刹、夜叉龍神と言葉がありますが、如何なる邪神で御座居ましょうか。


【答】仏語で、邪神の種類である。天の悪魔。羅刹はとりまいてる邪神の家来。夜叉は女の執着によって悪くなったもの。龍神―悪龍の事。邪神を仏語で総称していったものである。」
                                

(講話集補 年代不明)

 

「仏語である。天魔は魔神とか魔王といい、上等の方であり、羅刹は悪鬼羅刹といい、鬼のような悪魔の一種である。夜叉は女の方で、要するに悪魔の形容詞である。」     

 

(講話集補  S23・12・21)

 

                      

「龍神は大変しつこい」

「(前略)しかし邪神の方も、霊界がだんだん明かるくなるに従って勢いが無くなり、だんだん萎びて来ましたが、なにしろ邪神というのはみんな龍です。そういう事をやっているのは大体黒龍です。共産主義の方は赤龍です。それで私の方は金龍です。これは龍同志が闘っているのです。だからしつこいのです。狐なども随分しつこいですが、しかし龍と比べたらまるで違います。よく蛇を殺して、尻尾になっても動いてますが、それと同じで龍というのは実に大変です。」                 

 

 (御教え集17号 S27.12.6)