食と農
「食」について
2、現代の健康法の問題点
「現代人の短命の訳」
(前略)之は、私の想像であるが、日本人の寿齢に就て、食物が一番関係があると思ふのであるが、最古代は勿論、菜食ばかりであったのは事実である。そうして生物を食ひ始めたのは貝類からであった事は、我国の各地から発見される貝塚が證明してゐる。
其時代の先住民族は、魚を漁(ト)る術(スベ)を知らなかったので、先づ採り易い貝類から食ひ始めたのであらう。
それが後に漁(イサ)る事を知って、魚食をするやうになったのであるが、それでも其頃は、百歳以上の寿齢は易々(イイ)たるものであった。然るに、曩に述べた如く、漢方薬の渡来によって、非常に寿齢は短縮し、明治以後に到って、肉食や西洋薬等によって、弥々短命になったばかりか、体位も低下したのである。(後略) (「長命の秘訣」明医一 昭和18年10月5日)(「長命の秘訣」明医二 昭和17年9月28日)
「日本人と外人の違い」
今日の医学衛生は凡ゆる点に於て、白人の肉体を基準として研究され来ったのである。処が、日本人と白人とは其根本に於て非常なる差異ある事を知らなければならない。彼は祖先以来、獣肉と麦とを主食とし我は祖先以来野菜と米とを、主食とし今日に至ったのである。
彼は肉体的に優れ、我は精神的に優れてゐる。例へて言へば、同じ小禽であっても、カナリヤと鴬との様なもので、カナリヤは菜と稗と水で健康を保ち、鴬は、魚や虫の如き生餌を多食しなければ、健康を保ってゆけない。獣にしても、馬は、藁と豆で生き、虎や狼は生物を食はなければ、生きて行けない道理である。
次に、もう一つ例へてみやう、茲に、濁った水の中で棲息してゐる鮒がゐるとする。之を見た人間が、余り汚い水だから衛生に悪いだらうと、綺麗な水の中へ入れ換へてやると、豈計(アニハカ)らんや、その鮒は、反って弱ったり死んだりするやうなものである。人間もそれと同じ事で、祖先以来、其土地に生れ、其処の空気を吸ひその里で収れた穀物魚菜を食って、立派に健康を保ち、長生をして来たのであるから、今更、何を好んで仏蘭西(フランス)のオートミルや諾威(ノルウェー) の鰯や、加奈陀(カナダ) の牛肉の缶詰等を食ふ必要があらうか、是等を深く考へて見る時、もう目が醒めてもいゝ時機になってゐるのではないかと思ふのである。詰り、人間は其土地に湧いた虫の如うなもので、四辺海で囲まれ、平原の少い我国としては、米魚野菜を食べてをればよい様に、神が定(キ) められたのであって、恰度、大陸の人間が獣肉を食ふべく、自然的条件が具備してゐるのと同じ理由である。 (後略)
(日本式健康法の提唱(一)「一、日本人と白人との相違」東光5号 昭和10年4月8日)
「現代の健康法の間違い」
現代医学の衛生法や健康法は、換言すれば坊ちゃんを作る方法である、というとおかしな話だが、それは斯ういう訳である。
現代医学の健康法として言う処は人間は無理をしてはいけない、睡眠不足もいけない、消化の良い物を食え、物をよく咀嚼せよ、寒い思いをするな、腹巻をしないと腹が冷える、外出から帰った時は必ず含嗽をしろ-等々である。 処が、仮に右の通りの健康法を実行するとすれば果して健康になり得るであらうかというと私は反対である事を明言する、それは必ず虚弱者になる事で、今簡単に解説してみよう。 先ず無理であるが、人間は無理をするだけ健康になるのである。その證拠にはスポーツマンがレコードを作る場合、極端な無理をする。その為技能が発達する。水泳の古橋君の如きはその最たるものだ。此理によって無理をすると無理の出来ただけ健康が増すのである。何よりも私は今年六十七歳になるが、山野を跋渉する場合若い者は私に敵わないのである。勿論原因は無理をするからである。(中略)
消化の良い物を食うと、胃の活動力が鈍る。よく噛む事も同様で、造物主は消化の良い物悪い物を多種多様に造られてある以上、それ等を適当に食えという意味である。故に烏賊(イカ)、海鼠(ナマコ)、蛸、沢庵、梅干、茄子、豆等何れも不消化物と思へるが食いたい物は何でも食ふのが本当である。(中略)
含嗽はしない方がよい、何となれば人間の唾は強力な殺菌作用がある。虫類によっては人間の唾で弱るのがある。その證拠には蚤をとる場合指に唾をつけて蚤を制えると蚤は弱る。それ程殺菌力ある唾を含嗽で一時的なくすのは寧ろ含嗽時は危険という事になる。以上の説明は理屈ではない、実際に即している事ばかりで何人も肯き得るであらう。故に医学の健康法は、人間でいえば苦労をさせないようにして甘く育てる坊ちゃん式で、社会へ出ると抵抗力のない役に立たない人間になるのと同様の理である。
(「坊ちゃんを作る健康法」自叢十 昭和25年4月20日)
「風邪は健康を保つ救世主」
(前略)自然は、冬季に於ての人間の肉体大清潔法として、此風邪菌なる掃除夫を、無数に送って、人間の健康を資(タス)け、長寿を得さしめんとするなり、謂はゞ、神の恩恵的作業と言って然るべきである。(中略)風邪なる病は、実は病と称すべきものに非ずして、人類の健康を保持すべき「救世主」にてあるなり。故に、人間は汚物の未(イマ)だ多分に蓄積せられざる内に、風邪に罹るほど軽微に済むを以って出来るだけ冬季の初めに、清潔法施行を蒙るやう努むべきである。彼のマスクの如きは、如何に此の真理に、反するかは明かな事であらう。(後略)
(「余が発見せる風邪の原因と其療法」光世1号 昭和10年2月4日)