「食と農」
「食」について
15、長命の秘訣について
「長寿の秘訣」
(前略)人間は新鮮な空気を吸い、清浄な水を飲み、不純物のない土から生じたものを食し且薬剤の如き異物を成可用いないようにすれば、無病息災たる事は勿論で、寿齢も百歳以上は決して不可能ではないのである。 (「寄生虫問題」自解 昭和26年1月15日)
「若返り法について」
(前略)栄養の喜劇中にも述べた如く栄養学で唱える栄養分とは実は反対である、というのは所謂栄養分が多過ぎる結果、体内の栄養生産機能の活動が鈍化するから、体力は衰え早く老衰するのである、此点に鑑み、私は九十歳を超えたら極端な粗食をなし、長生きをしようと思っている、という訳は粗食であればある程栄養生産機能は活溌な活動をしなければ、生を営むだけの必要栄養分が摂り得ない、栄養機能の活溌になる事は、とりも直さず若返る事である、之に就て種々の例を挙げてみよう。
私は十七八歳の頃、肺結核を患い故入沢達吉医博から見放された事があった、其際死の覚悟を以て私は或事によってヒントを得たる絶対菜食を行ったのである、処が意外、病勢一変しメキメキと体力が復活し菜食三ヶ月にして病気以前より健康になったのである、その事あって以来、私は栄養学の全然誤謬である事を知ったのである、その後、私の血族の肺患二人まで、菜食療法で完全に治癒した事があった、勿論その頃は無信仰者であったから、ただ菜食だけで治った事は勿論である。(後略) (「之を何と見る」光17号
昭和24年7月9日)
「長寿と粗食」
如何なる人と雖も、長命を冀(ネガ)はざるものはあるまい。然らば、長命者たらんとするには如何なる方法が最も効果があるかといふ事である。昔から長命の秘訣として食物、飲酒、入浴、性欲等に関係があるとして長寿者の体験談等があるが、何れも相当の効果はあるには違ひないが、今私が提唱するこの長寿法こそ理論からも実際からも効果百パーセントと思ふのである。随而、私と雖も九拾歳を超えたらこの健康法を実行すべく期してゐるのである。
前項栄養食に於て説いた如く、人体機能には必要な栄養素を製出すべき働きがあるのであるから、その機能の活動を旺盛にする事が最も緊要である。彼の幼少年時代は、その機能の活動が最も旺盛であるから、盛んに発育するのである。此理によって、長寿を得んとするには、先づ栄養機能を小児の如く、旺盛にする事であるがそのやうな事が、実際上出来得るやといふに、私は或程度それが可能を信ずるのである。
それは、如何なる方法であるか--といふと極端な粗食をすることである。こんなことをいふと、現代人は驚くであらうが、私の説くところを充分玩味されたいのである。それは極端な粗食を摂るとすれば、栄養機能は、猛烈な活動をしなければ、必要なだけの栄養が摂れないことになる。自然、それは、小児の機能のごとき活動力が再発生することになる、言はば、機能の若返りがおこり始めるのである。機能が若返る以上、全体的に若返へらざるを得ない訳である。(後略)
(「長命の秘訣」明医一 昭和18年10月5日)(「長命の秘訣」明医二 昭和17年9月28日)
「粗食ほど健康」
(前略)そうして人間になくてならない栄養は、植物に多く含まれてゐる。何よりも菜食者は例外なく健康で長生きである。彼の粗食主義の禅僧などには長寿者が最も多い事実や、先頃九十四歳で物故した、英国のバーナード・ショウ翁の如きは、有名な菜食主義者であった。以前斯ういふ事があった。或時私は東北線の汽車に乗った処、隣りにゐた五十幾歳位の、顔色のいい健康そうな田舎紳士風の人がゐた。彼は時々洋服のポケットから青松葉を出しては、美味そうにムシャムシャ食ってゐる。私は変った人と思ひ訊ねた処、彼は誇らし気に、自分は十数年前から青松葉を常食にしてゐて、外には何にも食はない。以前は弱かったが、松葉がいい事を知り、それを食ひ始めた処、最初は随分不味かったが、段々美味しくなるにつれて、素晴しい健康となったと言ひ、此通りだと釦(ボタン)を外し、腕を捲くって見せた事があった。又最近の新聞に、茶殻ばかりを食って健康である一青年の事が出てゐた。之は本人の直話であるから間違ひはない。以前私は日本アルプスの槍ケ嶽へ登山した折の事、案内人夫の弁当を見て驚いた。それは飯ばかりで菜がない。訊いてみると非常に美味いといふ、私が缶詰をやらうとしたら、彼は断ってどうしても受けなかった。それでゐて十貫以上の荷物を背負っては、十里位の山道を毎日登り下りするのであるから驚くべきである。之は古い話だが、彼の幕末の有名な儒者、荻生徂徠は豆腐屋の二階に厄介になり、二年間豆腐殻ばかり食って、勉強したといふ事が或本に出てゐた。(中略)
又満洲の苦力の健康は世界一とされて西洋の学者で研究してゐる人もあると聞いてゐる。処が苦力の食物と来たら大変だ。何しろ大型な高粱パンを一食に一個、一日三個といふのであるから、栄養学から見たら何といふであらうか。之等の例によっても判るが如く、今日の栄養学で唱へる色々混ぜるのをよいとするのは、大いに間違ってをり、出来るだけ単食がいいのである。何故なれば栄養生産機能の活動は、同一のものを持続すればする程、其力が強化されるからで、恰度人間が一つ仕事をすれは、熟練するのと同様の理である。(後略)
(「科学篇 栄養」文創 昭和27年)