食と農
「食」について
11、食物について
「食物の意味」
(前略)食物の意味に就て説くが、元来食物とは人間は固より凡ゆる生物がその生命を保持せんが為に、それぞれその生物に適合するものを与へられてゐる。従而人間は人間として食すべき物、鳥獣類は鳥獣類として食すべき物を造物主は定めてある。然らば如何なる食物が人間に与へられた物であるかといふに、これは容易に知る事が出来る。それは味はひなるものが含まれてゐる。即ち食物には味はひを、人間には味覚が具はってゐる。故に人間は食物を味はひつつ楽しむ事によって自然栄養となり健康の要素となるのである。故に栄養剤の如き味はひもなく咀嚼の必要もなく消化機能の活動も要しない物を食するといふ事の如何に誤謬であるかを知ると共に、反って有害である事に気づかなくてはならない。そうして食物摂取の場合、各人それぞれの環境職業体質等が異なる以上、其時々嗜好の意欲が起る物が其人の必要要素である訳であるから、飽迄栄養学的理論などに捉はれる事なく、自然に要求するままの食物を摂ればいいのである。然るに現代人は殊更嫌ひな物を我慢して食ひ、好きな物を我慢して食はぬ事を以て健康に可なりとするのであるから、その愚及ぶべからざると共に栄養学の弊害も亦看過すべからざるものがある。
そうして栄養は野菜に最も多く含まれてゐる。故に栄養だけの目的からいへば、穀類と野菜だけで充分である。之を実際にみればよく判るのである。菜食本意の農民、禅僧等が健康で長命であるに反し、魚鳥獣等を連食する都会人は罹病し易く、短命でもある。又肉食偏取者の敗血症を起す事は周知の通りである。此実例として、私は先年栃木県の山奥に在る湯西川温泉に遊んだ事がある。此村は平家村で戸数九十、人口六百余あり。絶対菜食で附近に清流があり、鮎ややまめがゐるに係はらず、それの魚獲すらしないのである。聞けば祖先以来口に入れた事がないので別段食ひたいと思はないといふのである。私はあまり野菜のみの食膳なので鶏肉か鶏卵を要求したが、この村には全然無いといふのであるに鑑(ミ)ても如何に徹底した菜食村であるかを知るのである。勿論無医村で、聞けば医師の必要がないからだといふ。病人は其当時中風患者が一人あるだけで結核など一人もないといふ。斯の如く菜食と無医村なるが為、健康村であるといふ事実は、吾々に何を教へてゐるかである。又斯様な健康村を何故当局者や医学者が研究に手を染めないかと私は疑問に思ったのである。
(「栄養学」天 昭和22年2月5日)