概 論
1,メシヤ様の人間観と健康観
① 健康に就いて
「健康の種類とは何であるか、私は仮に三種類に分けてみたのであります。
先づ第一種に属する人は、真の健康者であって滅多に病気には罹らない、偶々罹るとするも、放任してをけば簡単に治って了ふといふ人などであります。それは浄化力が旺盛であるから病原である毒素が、多量に堆積しない内に排除作用が行はれるからであります。然し、斯ういふ健康体の人は年々減少する様であります。
第二種に属する人は、之は一番多いので普通健康体と謂はれる人であります。即ち風邪を引けば熱が出、喉が痛んで咳が出る。又、時々頭が痛むが直に治る。食物に中(アタ)れば下痢をするといふ様な程度であります。此種の人は丁度健康体と弱体との中間者であって、摂生法によっては健康体にもなれば弱体にもなるといふ程度であります。
第三種に属する人は、普通病弱者と謂はれるのであって、絶へず薬餌に親しみつゝ衛生に注意はするが、健康体にもならず、といって重症にもならないといふ程度で、斯ういふ人が非常に多くなってゐるのは事実であります。此種の弱体者が近来、青年男女に多くなった事と、又激増しつゝある所謂弱体児童も此第三種である事とは、実に寒心に堪えないのであります。そうして是等の病弱者は一人前の業務を執り得ないで、廃人的生活を送る者が多いのであって、社会国家へ対し一種の負担を与へて居る訳であります。
右の三種の中、最も多数である第二種健康体の人を第一種にしなければならないのでありますが、不幸にしてどうも第三種の方へ落ちてゆく傾向のあるのはどうしたものでありませうか。それに就て吾々の研究を述べてみたいのであります。
第二種健康者が偶々病気に罹った場合、発熱苦痛等を緩和すべき療法をするのですが、此苦痛緩和療法は、実は浄化作用を停止する訳になりますから、一時は快いが、結局は病気が長引き或は悪化する結果になるのであります。それが為、益々苦痛緩和療法を行ふといふ訳で、終に第三種弱体者に陥ちて了ふのでありますが、斯うなったのはなかなか復活出来ないで、現状維持か又は不幸な結果になるのであります。
此理に由って、第一種健康者たらんとするには、どうしても浄化作用を充分徹底させなければならない。それは物質の力を借りないで自分自身の自然力即ち霊的療法で以て治す、それより外にないのであります。」
(「健康の種類」 S11.7)
「(中略)今判り易く人間を三種に分けてみよう。即ち第一種の人は完全健康体で無毒であるから病気が起り得ないのである。第二種の人は有毒者にして体力強盛なるが為浄化作用が起りやすいといふ人(此種の人が大多数である)第三種の人は有毒者であっても体力劣弱なる為浄化作用がおこり得ない。起っても微弱である。唯此種の人が運動等によって体力が幾分強盛になった場合おこるのである。故に斯ういふ人は早速薬剤を用ひて安静にすれば還元するから一時恢復するのである。之等の人は過労を避けようと勉めるものである。
然るに、今日の医学は右の理に不明であるから、第二種の人を第三種にしようとするのである。其例として、都会の児童や医師の子女即ち最も医師に触れる機会のある者ほど弱体者であるといふ事実と、今日の医学衛生の理論を忠実に守る青白いインテリの多いといふ事は何よりの実證である。尤も第二種の人を第一種に改善しようとしても其方法は現代医学では不可能である。(中略)」
(「病気の真因」明医一 S17.9.28)
「私は現在世界人類少くとも文化民族の殆んどは病者であると言ひ得るのである。ただ既発と未発との相違だけで、即ち現在の病者は既発者であり、現在の健康者は未発者であるまでである。
既発者に就ては説明の要はないから、未発者に就てのみ茲に説明するが、曩に説いた如く未発者とは保有毒素があり乍ら、固結に対し浄化未発生の為である。
そうして真の健康とは全く無毒素で浄化発生のない身体の持主であるに引かへ保有毒素があり乍ら、兎も角も健康を維持し得て、立派に日常業務に携はり、労働にも堪へ得るといふ訳で、誰が眼にも健康に見え、又医診に於ても現在の医学では保有毒素の発見は困難であるから健康者と断定するのである。斯ういふ人を私は擬健康といふ。従而現在爆弾を抱き乱舞してゐる人の如何に多きかを想ふ時、慄然たらざるを得ないのである。昔から人は病の器といふ言葉があるが、これは全く擬健康を指したのである。
(中略)」
(「真健康と擬健康」天 S22.2.5)
「(中略)次に、人間の健康不健康を判別するに就て最も明確に知り得る方法として、先づ肩部を診る事である。肩部が柔軟で、指で圧して指頭が一寸位没するやうな人は必ず健康であるが、肩部が硬く柔軟でない人は不健康と断定して差支へないのである。結核者は例外なく肩部は固く、重患者と雖も肩部柔軟者は恢復し易く、軽病者と雖も肩部強堅者は恢復困難と共に、強浄化発生し易く、其為生命の危険は免れ得ないのである。故に理想的健康診断法として肩部を診る事こそ、正確であり簡単である事を世人に告げたいのである。(中略)」
(「治療に就ての注意」天 S22.2.5)