O,霊的原因による疾患                     〔龍神について〕
龍神などといふと、現代人は荒唐無稽の説となし、古人の幻影的作為の産物と想ふであらうが、決してそうではないのであって、全く実在するものである。(中略)

 

 

 

 又、龍には種類が頗る多く、主なるものを挙げてみれば天龍、地龍、山龍、海龍、水龍、金龍、銀龍、火龍、赤龍、蛟龍、黄龍、青龍、白龍、黒龍、木龍等であり、最高の龍神は天龍であり、(中略)伝説によれば、観世音菩薩の守護神は金龍であるといふ事である。浅草の観音様が、金龍山浅草寺といふのも、そのやうな意味からであらう。

 

 

 

白龍は弁財天のお使又は御本尊とも言はれてゐるが、之は真実であらう。赤龍は聖書中に「サタンは赤い辰なり」といふ言葉があるがそれであらうと想ふのである。黄龍及び青龍は支那の龍であらう。黒龍は、伝説によれば海王である。木龍は、樹木に憑依してゐる龍であって、之に就て少しくかいてみよう。

 

 

 

世間よく、大きな樹木を伐(キ)り倒したりすると、それが祟って、それに従事した者が大怪我をしたり死ぬ事さへもある。勿論之等も木龍の憤怒であって、切り倒す前、初めに小さくとも同種の樹木を代りとして植へ、御饌御酒(ミケミキ)を供へ、敬しく霊の転移を願へばいいのである。其際は、言葉によって木龍は快く諾地(ウベナ)ふものである。

 

 

 

 一体、天龍は別として其他の龍神は、如何なる必要によって存在してゐるものであるかといふに、皆それぞれの職務を分担的に管掌の神から命ぜられ、それを奉じて不断の活動を続けてゐるのである。就中、天文現象即ち風雨雷霆(ライテイ)等は、それぞれの龍神が、祓戸の神の指揮に従ひ活動するので、勿論天地間の浄化作用の為である。其他一定地域の海洋及び湖水・河川・小にしては池・沼・井戸に到るまで、大中小それぞれの龍神が住み守ってゐるのである。

 

 

 

 従而、池・沼・井戸等を埋めると、其後不思議な災厄が次々起る事がよくあるので、斯ういふ事は多くの人の知ってゐる処であらう。池沼等の場合は、その附近の人々に災厄があり、井戸の場合は、その個人の家に不幸が続くものである。

 

 

 

それはどういふ訳かといふと、龍神は非常に怒り易い性質を有っており、其ためいはば自己の住居を全滅させられたのであるから、立腹と共に人間に気を付かせて、代りの住居が欲しいのである。

 

 

 

此意味を知って初めから代りのものを掘って与へればいいので、形は小さくとも差支へないのである。元来龍神は霊体となっても非常に熱し水がなくては居られないので、水を欲するものである事を心得おくべきである。

 

 

 

 又、人間の死後、その霊が龍神となる事もあり、又龍神が人間に再生する事もある。斯様な事は現代人として意外に思ふであらうが事実であるから書かざるを得ないのである。然らば、何故霊魂が霊界に於て龍神に変化するかといふに、其人が生前何等かに強い執着をもつ場合、霊界に行っても、その執着が離れず、畢に形態化して龍となるのである。

 

 

 

然し普通人は蛇となるのであって、真の意味に於ける龍神は絵にある如き形体で、頗る巨大なものであり、之等は神格を得たものが、或必要上龍体となるので、再生する場合、元の神格者となるのである。(中略)

 

 

 

 私は、龍神が再生した人間と、又龍神が憑依した人間とを、数知れず見たのである。そうしてそれは太股、横腹、腰等に鱗(ウロコ)の形が表はれてゐるのであって、その顕出状態は種々あり鮮明なるもの、朦朧たるもの、色も赤きあり、黒きあり、千差万別であるが、鱗の形である事は疑ひ得ないのである。又面貌によってもよく判るのである。

 

 

 

それは顴骨(カンコツ)高く、額部は角形で、前額部に青筋の隆起があり、眼は窪んで、顎も角張ってをり、又特徴としては、水をよく飲みたがるものである。性質は執着が強く、人に屈する事を嫌ふので、斯ういふ人の面貌を熟視すると龍といふ感じが実によく現はれてゐるのである。此種の人は世間相当あるから、何人も注意すれば発見する事は容易である。

 

 

 

 そうして女性に於ては、龍神の再生したものを龍女といひ、多くは結婚を嫌ひ独身者が多いのである。又龍女は、結婚の話が纒まらうとする場合、男子の方が死ぬとか、本人が病気に罹るかするといふやうな故障がよく起るのである。又結婚しても配偶者に縁が薄く、死別、生別其他の事情によって夫婦の同棲が長く続かないものである。

 

 

 

そうして龍女は気位が高く、嫉妬心深いので夫を苦しめ幸福な生活を営めない事が多いのである。故に、龍女である女性は独身で、社会事業例へていへば教員、保姆、看護婦等になるのが適してゐるのである。然し、稀には普通の妻女として、幸福の生活を営み得る者もあるが、それ等は大抵夫婦の一方が善徳を積むか、或は正しい信仰を有つといふやうな場合である。又龍女は美人が多く、特に眼澄み瞳が光る者が多いのである。

 

 

 

 私は、龍神の祭り方に就て時々聞かれる事があるから、茲でそれを書く事にする。龍神を祭る場合、位置は勿論庭園又は空地の清浄なる所を選び、二三尺位の高さに石を積み上げるのがよく、その上に桧木造り又は石造りの宮を安置し、その中に御神体を鎮祭するのである。

 

 

 

そうして最も肝要なる事は、龍神は水が無くては居られないものであるから、社の前へ必ず池を作らなくてはならない。大きさは宮に相応すればいいのである。祭典は月に一回、日を定めて行へばよく、其際は必ず生米と水を上げなければならない。其他は生魚、野菜、乾物等を添へればいいのである。又、社の体裁はその家相応の立派さに作るべきである。」(「龍神界」明医三  S18.10.23.)

 

 

 

             (類似「龍神界」天  S22.2.5.)

 


 

「(中略)怨霊はすべて執着の為、龍神となって活動するものである。」    (「怨霊及び地縛の霊」明医三  S18.10.23.)

 


 

「之は、霊的による病気の一つであって、霊的の智識のないものからみれば、只不思議でしかあるまいから、概略説明してみよう。言う迄もなく、此家の祖先の一人に、死んで霊界へ往ってから、何かの執着によって龍神に墜ちたものがある。

 

 

 

処が長い間救われないと諦めていたのが、偶々本教の出現が霊界に知れたので、大いに喜び、是非救われたい為に、子供の身体を使ったり、実家の母親に夢を見せたりして、目的を達しようとしたのである。又以前、義姉の子供が死んだのも、気を付かせようとしたのは言うまでもない。

 

 

 

そうして川岸に供養に行った時、水が盛り上ったのは、長い間食い物がなく飢えていたので、遮二無二それを取ろうとしたのである。又背中の子供がグッタリしたのは龍神が憑った為であるが、その目的は自分も浄霊して貰いたいからである。之によってみても病気は固より、種々な災いも霊界に大関係のある事を知るであろう。」

 

 

 

      (「龍神と病気との関係」栄96号  S26.3.21.)

 


 

「(中略)やつぱり龍神ですね。龍神は一番水を飲みたがるんですからね。だから普通の人でも、水を飲みたがる人がありますが、あれは皆んな龍神の生まれ変りか、憑依です。そう言う人の顔は角張つていたり、目が引つ込んでいたり、龍神的な顔をしてますからね。つまり、祖先の一員で、龍神に落ちている。それが憑つているんです。之は、救つてやれば人間に生まれ変つて来ますからね。之は是非救わなければならない。

 

 

 

浄霊は、龍神はここに憑つてます――前頭部の中を中心にして、首の廻りに固まりがありますから、それをやる。然し、相当長くかかります――こう言うのはね。数年はかかると見なければならない。然し、結局は治るんだから、一生治らないよりは結構です。やはり、光明如来様をお祀りして、その部屋に寝かせて置いた方が早いです。」         (「御教集5号」  S26.12.1.)

 


 

「(中略)それで龍神が憑ると、一番は足が歩けなくなります。この娘さんも、両足がブラブラになつていたのは、そう言う訳です。その代り、龍神が離れると、段々歩ける様になります。之もはつきりしているんです。そう言う訳で、龍神が、古井戸に埋められて、住めないと言う時、新しい井戸に移るのは訳ないが、霊界の方は、だらしのない事や、融通の利く事ではないんです。だから、実に几帳面なんです――霊界と言うものはね。つまり新しい井戸に移つて戴きたいと――お移り下さいと言えば、その言霊によつて、直ぐに移る事は出来るんですね。こう言う点は非常に几帳面ですね。(中略)」          (「御教集6号」  S27.1.27.)

 


 

「(31歳婦人、17才の時一寸した熱より、歩行困難となり、其の後一年位のうちに両眼を失明。浄霊しますと、最初からマバユク感じ、以前より霊動(龍神の如し)があり、口は切りません。物に縋つて二時間位歩行の練習をしますと、左足の裏が熱くなり歩けなくなります。

 

 

 

 之は、やつぱり龍神さんですね。殺された――之は青大将ですね。その霊が祟つているんですよ。怒つているんです。それで、祟る訳ですね。

 

 

 

ですから、この人は光明如来様をお祀りしてある部屋に休む様にして、出来る丈御神書を読んで聞かせる様にする。それから、後頭部の真中の方ですね。後頭部の処に固まりがありますから、それを良く浄霊する。それから前頭部――そこを浄霊する。

 

 

 

それに、医者も大して荒つぽい事をしない様だから、之は治る訳ですね。可成り固まつているが、気長にやれば治る訳ですがね。別に何うと言う難かしい処はないですよ。今言つた様にして、気長にやつて御覧なさい。少しづつ治りますよ。

 

 

 

それで、足の悪いのも、やつぱり龍神さんが憑つている為です。前頭部の中央ですからね。ここ(前頭部)を浄めるには、やつぱりここ(後頭部)が肝腎ですからね。」 

 

 

 

             (「御教集7号」  S27.2.6.)

 


 

63歳男子、昨年春頃より食欲なく、右肋骨下に拳大の固まりがあり、その儘過しましたが、全身がだるくなり、床に就き、浄霊を戴いておりますうちに、右肋骨下の固まりが上下左右に移動する様になり、鈍痛があり、血便が出始め、其為の貧血か立つ事が出来ず、床の中で用便を致しておりました。

 

 

 

その後、朝突然悪感があり、全身震動し、意識も一時なくなりましたが、浄霊で元になり、其後食欲が殆ど無くなり、茶碗に七分位で衰弱も大分ひどく御座います。浄霊は右肋骨下の固まりを中心に、背面の鈍痛のある肩胛骨の下部と鳩尾等を主にさせて戴いております。

 

 

 

 之は、霊的が絡んでますからね。光明如来様をお祀りしなければ駄目です。固まりと言うのは龍神ですよ。だから、光明如来様をお祀りして、やつぱり出来る丈祝詞、御讃歌を奏げて、不断御神書を出来る丈読む様にする。そうして龍神に改心させて離脱させる様にする。そうすれば治りますよ。そう難かしいものじやない。

 

 

 

つまり龍神が――こう言うのは怨みと――大体最初は怨みですがそのうちに段々執着が取れて、今度は救つて貰いたいと言う事になりますからね。今言つた様にしてやると、それで離脱しますからね。光明如来様に、龍神が早く人間に生まれ変つて来る様にお願いする。それ丈で治りますがね。」 (「御教集8号」 S27.3.7.)

 


 

「(生後1年4ケ月になる女子、生来手足がフラフラにて立つ事も歩く事も出来ませんが、・・・

 

 

 

 生後すぐ注射したのは斯ういふ事がよくある。でなければ霊的で、龍神の生れ更りである。蛇の性能が大分残っている。割合い治りいい。浄霊して、祝詞を奏げてやる。」

 

 

 

              (「講話集補」 S24.11.7.)

 


 

「(62歳の婦人、20年程前より昼は一時間おき、夜は三、四回程身体中が湯をかぶった様に暑さを感じ、夜は床の中に涼気を入れないと眠れないそうです。

 

 

 

 寒い所にいた霊が憑る。龍神である。龍神は三寒三熱といって、一日に三回暑い事と寒い事がある。相当大きい龍神である。」

 

 

 

                (「講話集補」  S24.6.2.)

 


 

「(84歳男子、急に動けなくなり、夜11時頃より夜明け迄水を呑み続けてます。

 

 

 

 龍神の霊が憑依せるものである。前頭部の奥を浄霊し、時々御讃歌を奏げるといい。」    (「講話集補」  S24.1.26.)

 


 

「(子供(3歳)、引付けの浄化をお蔭で救って頂きましたが、此の子供の兄(9歳)が同様引付けにて死亡、又祖母も同じ病気にて死亡・・・

 

 

 

 霊である。執着の強い霊が憑ると斯うなる。殆ど龍神が多い。龍神が憑るとすぐ死ぬ。この家に斯ういふ因縁がある。無縁が気付けしても気付かぬ事などもある。」  (「講話集補」 S24.6.8.)

 


 

「(5歳女子、生れた時より骨があっても無い様なもので、コンニャクの如き体です。此れは唯運動神経の発達が遅れているだけでしょうか。

 

 

 

 運動神経の発達が遅れているといっても原因がある。如何なる原因によって発達せぬかを指摘せねば何にもならぬ。

 

 

 

 蛇の霊が憑いているとグニャグニャである。龍の生れ代りらしい。龍神が憑いているのもあるが、憑いてるのは局部的が多い。浄霊しているうち段々よくなる。段々蛇の特性が除れてゆく。

 

 

 

 根気よくして、親が信仰して徳を積む。」 

 

 

 

              (「講話集補」 年代不詳.)

 


 

「(午前一時頃より足部より悪寒を覚えます。そして左手が痺れたり、心臓部が痺れて来ると死ぬ様に苦しくなります。

 

 

 

 死霊がくっつく。考えてみよ。死んだ人で必ず斯んな症状の人があるに違いない。足から冷えるというのは足から入ってくるので、地獄霊である。龍神は人差指狐は足の拇指から入る。」

 

 

 

                 (「講話集補」 S24.)

 


 

龍神は人を訳なく殺す。心臓麻痺、卒中の如きそうである。狐が殺すのは、変死が多い。」  (「講話集補」 年代不詳.)