「(中略)脊柱の頂部から三分の一辺に、大抵の人は多少膿が滲出してゐるもので、その酷いのが脊髄カリエスであります。脊柱を見ると、そういふ人は其個所が窪んでゐる。其部を叩くと痛みがあります。之は其所から絶えず膿が滲み出て発達しないからであります。よく骨が腐ると謂ひますが、腐る事は決してないので、膿が外部へ排泄されよふとして骨に細い孔を沢山穿けるのであります。本療法によって膿が溶解消失すれば孔は塞がるのであります。カリエスの膿は非常に多い人と少い人とあります。
化膿性肋膜炎、化膿性腹膜炎なども之が原因であります。又腫物や痔瘻などもそうであります。此原因の又原因としては、人間の祖先の罪穢が霊的に脳の中枢へ流れて来、それが物質化して膿になるのであります。
膿が出てる時は宛かも上へ出やふか下へ出やうかと考えてゐる様なものであります。其時頭脳を過度に使用したり、又夏の天日に照らされたりすると上方へ昇ってゆく、凡て膿は神経の集注する個所や、熱した所へ集溜するものであります。(中略)」
(「嗜眠性脳炎、脳膜炎、脊髄膜炎」療講 S11.7.)
「(中略)脊髄カリヱス-悪性肺結核はよく祖先の罪が多い。肺の原因は天然痘。」(「江の島片瀬に於ける御講話」S16.7.22.)
「カリヱスには脊髄カリヱスと肋骨カリヱスの二種あって、前者は、脊髄に毒素固結し、それが為、脊柱が彎曲するのであって、即ち傴僂(セムシ)となるのである。医療に於ては発病の場合、脊柱の彎曲を防ぐ為、胴体にギプスを嵌め、仰臥させ動く事を禁ずるのである。此方法は幾分の効果はあるが、患者の苦悩は名状すべからざるものがある。
そうして多くは、腰骨の左右孰れかの部分又は大腿部等に一ケ所乃至数個所に腫脹を生じ、穿孔されて膿が排泄されるのである。其場合、自然穿孔と人為的穿孔とあり、その排膿は頗る多量にして最も甚だしいのは、数個所の孔から毎日相当の排膿があり、数年に及ぶものさへある。
斯ういふ患者の膿量は余りに多量なるに不可解に思ふ事さへある。勿論多少の痛みもあるが激痛もある。人により起床する能はず、何年も呻吟し続けるのであるから、洵に悲惨な病気である。医療では不治とされてゐるが、本療法によれば必ず全治するのである。但だ然し、全治しても脊柱の彎曲は、或程度匡正(キョウセイ)されるが、常態になる事は困難である。そうして此病気の原因は霊的に因るので、それを説いてみよう。
霊界に於て、多数の祖霊が、地獄の苦しみによって罪穢の浄化作用が行はれつつあるに就て、その罪穢--即ち汚濁の悉くを消滅する事は不可能である。それは汚濁の何分の一かは残滓(ザンシ)として子孫が分担しなければならないので、そうする事によって完全に消滅するのである。丁度物を燃しても灰が残るやうなものである。
故に、右の残滓消滅に対し、その子孫の一人をして分担をなさしめるので、其場合子孫の誰かが選ばれて、その担任者となるのである。仏教信者が罪障消滅といって苦しむ事があるが、そういふ意味である。
そうして其場合先づその者の頭脳に向って、残滓が霊的に流れてくるので、それが又脊柱を伝はり流下するのである。然るに霊的残渣と雖も肉体に流入する場合、肉体は物質であるから残滓は直ちに物質化し膿となるのである。従而不可解と思ふ程、多量の膿汁が排泄せらるるのは、何十人何百人の祖霊の罪穢の浄化であるからである。斯様な説を聞けば、現代人には如何にも不可思議と思ふであらうが、厳然たる宇宙の法則であって、寔にやむを得ないのである。
次に、後者である肋骨カリヱスは、普通の毒素結溜が骨膜の裏面に集溜し、それが浄化作用によって外部へ排泄されようと為し、肋骨を穿孔するので、その為の激痛であるが、医療に於ては、手術によって肋骨の何寸かを切り取り、骨の代用として硬質物を繋ぐ事もあり、又はそのままにする事もあるが、本療法によれば容易に治癒し、一週間とはかからないのである。」
(「カリヱス」明医三 S18.10.23)
「やつぱり、その通り一家の罪が沢山ある。特にカリエスは――本にも書いてある通り――祖先の罪ですからね。罪があるから膿が出るので、一生涯出る訳ではない。出るだけ出れば止まるから結構で、二年でも三年でも、ひどい人は五年位出る人がある。一樽一杯ではきかない。(中略)」 (「御教集1号」
S26.8.8.)
「脊椎カリエスの霊的と言う事は、一寸普通の霊憑りとは違う。之は本に書いてありますがね。祖先の罪穢れが、頭から脊椎に下つて来て物質化して膿になる。良く本を読むといい「天国の福音」ですかね。天国の福音読みましたか。(はい)霊で――救われない霊がそうさせるんですから、之はお祀りしてやつていると救われますからね。(中略)腰ですね。腰から腎臓にかけて――そこを浄霊する。
(腰骨に膿が溜り、排膿するかと思われましたが、排膿せず、しなびて参りました)
それは、尚結構です。穴があいて膿が出るより、段々しなびていつた方が本当なんです。之は気長にやればいいです。脊椎カリエスは長いですからね。先ず、完全に治る迄には十年かかるとみなければならない。歩ける様になるには二、三年ですね。助かるんだから何年かかつても良い訳ですね。」(「御教集1号」 S26.8.28.)
「(中略)祖先の罪が霊界の浄化によつてその残滓が子孫の誰かの脊髄へ流れて来る。実にその膿の量は多量である。人間の身体全体を膿としてもカリエスの膿はそれ以上に多量に出る。之は全治はするがせむしはすつかり治らぬ。瘤はづつと低くなる。」
(「カリエスの膿」教えの光 S26.5.20.)
「(脊髄カリエスは霊的の病気と伺って居りますが、排膿箇所に違ひがありますか。)
これは膿が出いゝ所から出るんですよ。例へば柔い所とかね、そういった出易い所に孔があくんです。まあ、主に腰の周りですがね。」 (「御光話録14号」 S24.8.3.)
「(因果応報とか、親の因果が子に報いと言いますが、罪の事を言うのでしょうか。)
因果とは罪である。親のみでなく、祖父も何十代前の罪もある。カリエスなどはそれである。近年多くなって来た。古は少なかった。世の中が段々変って来たからである。」
(「講話集補」 S23.10.13.)
「(中略)三毒が霊化する。肉体と両方である。脊椎カリエスは霊の物質化である。物質の霊化もある。」
(「講話集補」 S24.7.17.)
「(11歳の時よりカリエスに、足の発育が悪くセムシの様、浄霊すると頭を上下に振動し息づかいも荒く・・・)
霊が憑っている。霊を放射して息づかひの荒くなるのは霊の憑っている証拠である。
カリエスは気長にやれば治る。セムシの様になっているのは、一寸や二寸位は伸びるが、それ以上治らぬ。」
(「講話集補」S24.6.7)
「(四年前脊髄カリエスにて夫が死亡、その後親族長男が同病に・・・)
長年膿が出て亡くなった。脊椎の下の方が痛い。脊髄カリエスは祖先に非常に罪があり、前に説明したが、祖先に沢山ある罪が霊界で浄化され、その滓が子孫へ流れてくる。頭から脊柱へ向って流れてくる。カリエスの膿は人間の身体よりもっとある。四斗樽に一杯位も出るのがある。五、六ケ所から出ているのもある。一人では間に合はず、幾人でも分担する。医者にかからなければ死ぬような事はないが、脊髄は薬毒病になる。カリエスは痛まぬものである。痛むのがあるが、あれは薬毒である。」
(「講話集補」S24.6.18)
「一生懸命誠を尽せばそれでよい。(中略)カリエスは大勢の霊の罪の集積である。」 (「講話集補」 S24.9.16)
「(カリエスの如く霊的原因で痰が出ると言ふ場合が・・・)
ある。カリエスや肺結核など、長く病気しているのは、霊の物質化したものが痰になる。普通の痰は薬毒で、薬が体内に長くあると痰になる。
未だ薬の匂ひがするような生々しい痰もある。」
(「講話集補」S23.10.28)
「(中略)脊椎カリエスなど、長男でない方へ憑る。罪の引受者に憑る。」 (「講話集補」S24.7.9.)
《浄霊》
浄霊個所はカリエスの項に同じ(特に前頭部の奥、)、
患部(頭脳、脊柱、腎臓、腰。肋骨カリエスは、肋骨部等)
※ 御神体奉斎、その部屋に寝かせる、御神書を読ませ、話を聞かす、慰霊祭等