(「胃病」日本医学の建設(二) S10.5.21.)
「又胃部に溜結せる毒素の浄化作用が胃痛の原因である。然し、胃痛には二種あって、凝結毒素が胃を圧迫する痛みと、凝結毒素が溶解する痛みとある。前者は満腹時に痛むのである。それは、満腹によって胃と凝結毒素と圧迫し合ふからである。後者の場合は、溶解毒素が胃中に浸潤し胃壁の一部に滞溜してゐる。それが空腹による胃縮小の為に痛むのであるが、重に前者は強痛、後者は軽痛である。
胃痙攣の激痛は、前者に属し、第一浄化作用の極点に達した時即ち毒素凝結が最も硬化し、強度に胃を圧迫する為で、医療はモヒの注射によって感覚を麻痺させ、一時無痛たらしめ、安静にして流動食を摂るのである。それが為、浄化作用が弱るから、毒素硬化は鈍り、又胃は、流動食によって弱化し、抵抗が弱まるから、一時小康を得るのである。」 (「胃疾患」明医二 S17.9.28)
「胃痙攣は、水膿溜結が段々固結した時、胃の方が不消化物又は大食をして膨脹する時、胃とその固結物とが押合って痛むので、その痛みのひどい為に痙攣を起すのでありますから、その固結を溶解すれば全治するので、割合容易であります。」 (「胃痙攣」療講 S11.7.)
「(中略)次に、胃痙攣は激痛が特徴であるが、之には二種あって、一は第一浄化作用に因る毒結強化の為胃を圧迫する場合と、第二浄化作用に因る毒結溶解の場合とである。前者は無熱にして後者は有熱で、これは治癒し易いのである。之等の原因は服薬が時日を経て胃に還元し一種の毒素に変じて固結したものである。」
(「胃疾患」天 S22.2.5.)
「(中略)胃痙攣の激痛と雖も、その激痛部だけの治療では効果は少ない。其場合背部を診れば左右何れかの肩胛骨と脊柱との中間に必ず固結がある。その固結を治療するや忽ち胃部の激痛は解消するのである。然らば右固結は何であるかといふと、之は薬剤の固結したもので、服薬を持続し仰臥する関係上、胃の後方から滲透背部へ沈澱固結したものである。(中略)」 (「治療に就ての注意」天 S22.2.5.)
「(中略)胃痙攣患者を診査する場合患部に微熱があると共に、胃の背部を見れば、必ず板の如き固結があり、此部も微熱がある。然るに施術の場合胃部の痛みであるから、前方から浄霊するが、之は些か的外れである、だから或程度の軽減はしても、全く痛みは去らないというのは真の原因は背部にあるからで、背部の胃の裏に当る処を浄霊すれば全く痛みは去るのである、之は一寸不思議に思うが実は大いに理由がある、それは斯うである。
人間が少し胃の工合が悪いと、直に薬を服みたがる。薬を服んで仰臥するから、薬は胃の袋を滲出下降し、背部に凝結する事となる、而も、其量が、段々殖えるに従い、背部の固結は漸次増大する、それが或程度に達するや浄化作用が発り微熱によって溶解され、液体化した薬は胃に還元する。其時は薬質は変化して猛毒素となる、此毒素が胃中に入るや、胃は急遽それを外部に排泄しようとして運動を起す、それが神経を刺戟して激しい痛みとなるのである、何よりも痛みは漸次下降し、腸を通って下痢となり排泄するにみて明かである。
胃痙攣の場合、其適薬を服むと無痛となるのは其薬によって胃が麻痺され、浄化排泄が一時停止されるからである、之によってみても、薬剤ではなく毒消であり、薬効とは一時的浄化停止による苦痛緩和法でしかない事を知るであろう。」 (「薬毒」栄88号 S26.1.24.)
「(十二指腸潰瘍兼胃アトニー兼胃下垂との事で、毎日御浄霊を頂いて居りますが殆んど一日中胃及び胃の後一面が痛みます・・・)
之は誰がやつているんです。斯う云うのはそんなに長くかかる訳はないんだが、痛みと云うのは治り良いんですからね。あれは浄化だから、浄化が起つているんだから。胃の痛みなんて大したもんじやない。浄霊に力が入るんじやないかな。それから、こう云うのは全然背中ですよ。前なんかやる必要はない。前が痛い様ですが、背中で溶けた薬毒が溶けて来て胃に来るんだから、背中にあるんです。
(お腹に石みたいなものが――)
その石みたいなものが病原と思つていると違う。その後の一寸上の方に痛みがありますから、そこをやると直に治る。胃痙攣でも、前でなくて、背中をやると直き治る。之は全部薬毒ですからね。」 (「御教集1号」 S26.8.8.)
「(猛烈な胃痙攣・・・)
中教師か、――何の様に御浄霊なんて、今この様な事聞く様じや仕様がない。背中に毒が固まつている。特に肩の所。
何時も云う通り、お腹が痛い時、何うしてもここ(お腹)をやるが、そうではない。背中が楽屋になつている。前の方は舞台になつている。之は背中をやれば治ります。之は薬毒ですからね。之はお医者様がこしらえた病気で何でもない。(中略)
だから、之は殆んど背中ばかりやつて良いんです。それから腎臓です。腎臓も大分萎縮しているから。それからお腹が膨れるのは薬が溶けて膨れるのですからね。薬毒が溶けて膨れるのは随分あります。中には腕だけ膨れるのも随分あります。それから、足に薬が流れて足が腫れるのがありますから。この人は胃の薬を多く飲んで、それが溶けて胃に固まるんですから、之は相当の間かかります。衰弱さえうまく堪えて行けば必ず治ります。無論嘔吐もしますからね。薬を吐くんです。然もモヒの注射をやつてますからね。相当衰弱しますよ。
だから、きつと治るとか、治らないとか見当がつかない。私が薬を飲ましたのなら見当がつきますが、他の人が飲ませたのだから。薬の分量が少なければ良いが、ある薬を出すだけの期間持つて居れば良いが、持つ事が出来なければいけない、と云うんです。然しこう云うのは割合助かるものですがね。肺の方と違つて胃の方の病気は体が持ち易いんですね。そうして、出来るだけ側の人が御神書を聞かせる様に――そうすると霊的に清まりますからね。」
(「御教集1号」 S26.8.11.)
「胃痙攣の痛みは、背中にある固結が溶けて、胃へ集まり腸へ下降しようとするその痛みである(中略)」
(「対症療法の可否」 S26.7.25)
「次は胃痛で、此酷いのが胃痙攣である。之は激しい痛みで堪へられない程である。医療はモヒ性薬剤を用ひるが、之は一時的麻痺によって、苦痛を抑へるだけであるから、日ならずして又発る。という訳で癖になり易いもので、此病の原因も勿論薬毒である(中略)
胃痙攣の起った場合、何にもしないで一度我慢して、痛いのを通り越して了えば下痢となって毒素は出て了ふので根本的に治るが、毒素が出切る迄には何回も発るが、之は致し方ない。然し其次発った時は、必ず前より軽く済み、次は又軽くなり遂に全治するのである。 (「胃病」文創 S27.)
「(中略)胃が悪い、苦しい、気持が悪い、というので胃の薬を飲む。そうすると一時良くなる。頭が痛い。するとノーシンを飲むと一時良くなる。だから一時良くなるけれども、そういつた胃が苦しいとか胃痙攣が起るとか頭が痛いとか言うが、胃病の薬や消化薬を飲んだ其結果です。」
(「御教集14号」 S27.9.6.)
(「胃病と心臓病」医革 S28.)
「(中略)それから消化不良とか胃下垂とか胃痙攣とかにも非常に効果があります。だから上半身の病気は肩を柔らかくするという事が一番よいという事を知って、肩を中心にやるとよいです。」 (「御教集24号」 S28.7.26.)
「(中略)それからもう一つ肝腎な事は腎臓から背中にかけてで、肩胛骨の間から脊骨の両側に土手の様になってゐる奴が曲物で憂鬱症、胃の悪い人はそこに原因がある。勿論この源は腎臓であり、又腰や腹の痛い人は腎盂が原因であり之は腎臓の少し下で横から圧すと大抵の人は痛むが、こゝに熱が出易いのです。腰、腹が痛んで転る様に苦しんでゐる人でもこゝをやればぢきに治ります。(中略)胃痙攣なんかは肩胛骨の所です。」 (「御光話録」 S23.12.8.)
「(私と弟と母と三人で胃痙攣の御浄化、胃痙攣は霊的?)
大抵薬毒である。霊的は少ない。体的の方が多い。背中の薬毒が胃へ入って痛むのである。又、胃へ入って、固まって溶ける時の痛みと両方ある。薬を呑むと仰向けに寝る、すると薬毒が垂れて背中に固まる。それに浄化が起って元の胃へ還元して痛む。霊的の場合でも、毒があると霊が憑きやすい。であるから、霊的といふより体的といった方がいいかも知れない。
蛇の霊が痛める事もあるが、痛みは移動する。昔蛇が腹中を泳いで、音がするのがあった。狐の方はそう痛まない。」 (「講話集補」S23.10.28.)
腹の真後ろのちょっと上の方に痛い塊がある。それを浄霊する。頭の浄化は離してやれば治る。痰が古くて固まっているのである。痰は方々から出る。頭からも首の周りからも出る。」 (「講話集補」S24.8.17.)