E-③ 胃病について

「(中略)胃の悪いのは物質を粗末にするのが原因である。贅沢を言う人の胃の悪いのは此の原因である。何んでも不味い物でも食べる人は胃は丈夫だ。総て感謝がなければいけないのである。常に感謝の生活をして居れば胃に罪は起らんから常に胃は丈夫で病気は起らんのである。心すべき事である。」       (「天照皇大御神」観講 S10.9.15.)

 

「(中略)真の療法としては、積極的に胃の強力化を図らなければならない。其理から推すとどうしても消化薬は不合理であるから出来得る丈避けて食物に於ても可及的普通食を摂らせるのである。そうすると、胃の抵抗を強め活動を促すから、水膿溜積を反対に、胃自身の力に由って積極的に外部へ向って圧迫し、排除する事になる。往年、食物医者の石塚某氏が流動食同様の物を摂取し居る患者に対し、直に沢庵と塩鮭の茶漬を奨め意外なる、効顕を奏した事を聞いた事が屡々あったのは此理に合ってゐるからである。

 

 随って、胃の初期患者には、積極的胃の強健法を、奨めなければならないのである。夫には第一出来得る限りの運動と場合に依り一回又は一日位の絶食も良し、食餌に日本食が最も適当であって、就中(ナカンズク) 、菜の類の香の物で茶漬等が非常に効顕ある事は、余が実験上保證し度いのである。尤も香の物は、酸味の多い古漬が最もよく、先づ一日の中一食位の、香の物、鮭、干物等の茶漬を食ふのが、初期患者に最も良いのである。」

                             (「胃病」日本医学の建設(二)  S10.5.21.)

 

「今日、胃病といふ病気になるのは、殆んど全部が薬の中毒といっていい位であります。消化不良とか胸焼、胃酸過多、アトニー、胃痛などいろいろありますが、原因は一つで、最初は食物がもたれたり、不消化であったり、胃が痛んだり、胸が焼けたりする。然らば、それ等の原因は何かといふと、之は全く食物の分量を決めたり、食事の時間を決める為であります。何となれば、分量や時間を決めた以上、前の食物が消化されない中に食ふ為に、前の分が醗酵し腐敗し、前述の如き胃の病的症状を起すのであります。

 

  でありますから腹が減れば食ひ、減らなければ食はない主義にすれば、絶対に胃病は起らないのであります。私は此方法によって永年の胃腸病が治り、今日は頗る健全であります。

 

  此やうな病的症状が起った場合、其原因に気がつき、それを改めれば容易に治るのであるが、誰しも其場合薬を服む。それが抑々胃病の始まりであります。

 

 薬を服むと確かに一時は快くなるが、原因を改めない限り再び起きるので、其度毎に薬で抑へる。其為終に慢性になるのであります。それで胃痛や胸焼や種々の苦痛は胃の浄化作用であるから、放任しておけば必ず治る。

 

 それを薬剤を服むと浄化作用が一時停止される。それで一時苦痛がなくなるから、それを「薬で治る」と信じるのでありますが、何ぞ知らん、事実は「治癒を停止」させたに過ぎないのであります。実際、薬で治癒されたなら、最早病気はおこらないはづであるのに、再び起るといふのは「治らない」からであります。

 

  言換へれば、胃自身としては治らふとして痛むのを、治ってはいけない-といふやうに薬を服むといふ理屈になるのであります。そうして、胃がわるいと消化薬を服む、そして消化の可い物を食べるんですが、之が亦大変な誤りで、態々胃を弱くするんであります。何となれば、胃は胃自身の活動によって、物を消化する様に出来てゐる。それによって胃は健全を保ってゐるのであります。

 

 処が消化薬を服むと、胃は活動しなくとも済む。薬が消化して呉れるからで、その為胃は段々弱体化する。有閑者のやうになる。そこへ消化のいい物を食ふから、猶拍車をかける訳で、益々胃は退化する。退化するから薬を倍々服む-といふ循環作用で終に慢性になるのであります。

 

 そうなると、偶々固い物を食ったりなどすると胃はとても骨が折れる。もう「消化する力」を失ってゐるので、そのまま腸へ送る、腸も胃の影響を受けて弱体化してゐるから、下痢し易くなるのであります。

 

  中には反対に便秘する人があります。之は食物が少量過ぎる為と、胃薬で柔軟化させ過ぎる為であります。

 

  ですから、下痢と便秘と交互にする人がありますが、全く前述の理に由るのであります。

 

  自然に任せておけば、順調に排除されるのを、薬剤によって不正にさせ、苦しんでる人が、随分世間には多いやうであります。」                         (「胃病」療講 S11.7.)

 

「(中略)胃は胃そのものがわるい事は滅多にない。腹の中心線をやる。」    (「特別講習会御講話」 S15.4.2.)

 

胃は殆んど薬毒肋骨末端部をする。横からもする要あり。を立てて背部も通れと霊を放射する。又臍のまわり、幽門を押す為腸へ物が行かず、消化不良となる。狭窄すると嘔吐あり。脳の反射作用の時もあり。」      

                                   (特別講習会御講話 S15.11.9)

 

「日本人に最も多い病気に胃病がある。此病気は世人も知る通り種々の症状があるが最初の発病は殆んど軽症であるに拘はらず、療法や摂生の誤謬の為、漸次慢性症状となり、一進一退の経過をとりつつ、終に、悪性に移行するといふのが大部分である。

 

  故に、一度此病気に罹るや、軽症でも全治するのは極稀である。そうして最初は消化不良、胸焼、胃痛等の軽い症状である。(中略)本来、胃の腑の役目は、嚥下した食物を胃自体の活動によって柔軟にするのにある(中略)」 

                                    (「胃疾患」明医二  S17.9.28)

                                          (「胃疾患」天 S22.2.5.類似)

 

「(中略)病気の原因が殆んど薬毒である事は、今迄説いた通りであるが、特胃に関した病気程それが顕著であって、悉く薬で作られるといってもいいのである。

 

 それを今詳しくかいてみるが、誰しも偶々食べすぎとか、食靠(モタ)れとか、胸焼がする事がよくある。すると放っておけば治るものを、何でも薬さへ服めばいいと思ひ、早速胃の薬を服んで了ふ。然し一時はよくなるから、それで済んだと思ってゐると、何ぞ知らん此服の薬が、将来命取りの因となる事さへあるのだから問題である。つまり一服の薬が病の種を蒔く訳である。

 

 といふのは暫く経つと、再び胃の具合が必ず悪くなるもので、そこで又薬を服むといふ具合に、いつしかそれが癖になって了ふ。此点麻薬中毒と同様であって、終ひには薬がなくてはおられない事になるが、斯うなるともう駄目だ。立派な胃薬中毒患者である。

 

 そこで医者に診て貰ふと先づ胃弱、消化不良、胃加答児、胃酸過多症などと診断され、斯ういふものを食ってはいけないとか、此薬を服まなければいけない。斯ういふ養生をしなさいなどと言はれるので、其通り実行するが一時は一寸よいようでも、決して治りはしないばかりか、寧ろ悪化の傾向さへ辿る事になる。

 

 痛み、嘔気、胸焼、食欲減退など種々の症状が次々発るので、仕方がないから薬を服む、と一時よくなるので、薬で治るものと思ひ込み、益々薬が離せなくなる。処が初め効いた薬が段々効かなくなるもので、それからそれへと種々な薬を変へるが、変へた時だけは一寸良いので、それに頼ってゐると又駄目になって了ふといふ訳で、言はば胃薬中毒患者になるのである。

 

 そんな事をしてゐる内、遂々口から血を吐くやうになる。サァー大変と医師に診て貰ふと、之は立派な胃潰瘍で、充分養生しないと取返しのつかない事になりますよ、先づ固形物を食べないで、絶対流動食にして安静にする事等々、万事重症患者扱ひにされて了ふ。

 

  右は、最初からのありふれた経路をかいたのであるが、実は斯ういふ人は今日尠くないのである。そこで初めからの事をよく考へてみると、初め胃の具合が悪かった時、放ってをけば直に治って了ったものを、何しろ医学迷信に陥ってゐる現代人は、薬を服まないと治らない、放っておくと段々悪くなると心配し、一刻も早く医師に罹ったり、売薬などを用ひたりする。そんな訳で全く薬によって重症胃病を作り上げて了ふ訳である。何と恐るべくして又愚な話ではないか。

 

 処がそれは斯うである。大体胃の薬というものは、勿論消化促進剤であり、消化剤は必ず重曹が土台となってゐる。衆知の如く重曹は物を柔かくする力があるので、煮物などによく使はれるが其理屈で常住消化薬を服むとすると、食物ばかりではない、胃壁をも段々柔かにして了ふそうなった時偶々固形物などを食ふと、ブヨブヨになった胃壁の粘膜に触れるから疵がつく、其疵から血液が漏れるのである。

 

 吐血の際鮮血色は新しい血で、破れた局所が大きい程多量に流出するのである。処が人により珈琲色の液体や、それに黒い粒が見える事もあるが、之は古くなって変色した血で、粒とは血の固りである。

 

 又よく大便に黒い血の固りが交る事があるが、之は古い血で疵口から出た血液が胃底に溜り、固まったものが溶けて出たものである。然し此珈琲色の古血を吐く場合、非常に量も多いもので、一度に一升から二升位、毎日のやうに吐く患者さへあるが斯うなっても吾々の方では割合治りいいものとしてゐる。

 

 然し此病気は医学の方では仲々治り難いとされてゐるが、全く原因が薬であってみれば、お医者としたら具合が悪いに違ひない。何しろ薬を廃めなければ治らない病気であるからで、従って此病気は薬を廃めて気長にすれば、必ずと言ひたい程治るもので、其方法は最初血液を少しでも見る内は流動食にし、見えなくなるに従ひ、漸次普通食にすればいいのである。(中略)」             (「胃病」文創  S27.)

 

「(中略)如何なる病気も其原因は悉く薬毒である事は勿論だが、其中でも此胃病位薬毒が直接原因するものは外にないのである。何しろ薬を飲むや一番先へ胃に入るからである。故に全部の胃病は薬で作ったものであるのは争へない事実である。

 

 先づ此病気の始まりは人も知る通り食中(アタ)り、食過ぎ、運動不足等の為、胸焼、靠(モタ)れ、胃痛、消化不良、重圧感等の苦しみが起った場合、放っておけば自然に治るべきものを、薬迷信の為必ず何等かの胃薬を飲むので、一時はスーッとするが、暫くして再び同様の苦しみが起る。それは最初の浄化を薬で抑へたからで、毒はそのまま残ると共に、その時飲んだ薬毒も加はるので、起る毎に少しづつ悪くなり、期間も縮まってくる。というやうに繰返す内遂に慢性となって了ひ、名の付くやうな病気になる。」

                                          (「胃病と心臓病」医革  S28.)

 

「(中略)胃病にしても、背中の両側をやらなくては決してよくならぬ之さえ心得ておけば、どんなに痛い腹でも治る。これは根本的に治る。何となれば、人間は背中を下にして寝る為に服んだ薬が背中に行って溜る。痛みは全部薬であるからであるし、痛みは全部自分で作ったものである。(中略)」                           (「講話集補」年代不詳.)

 

 

 

「(中略)それから胃の悪い人、特に消化不良には素晴らしい効果があります。胃をやるよりか、かえって肩を柔らかくした方がよいのです。それからみんな頸の廻りに固まりがあります。これがいろんな病気の原因になりますが、これは一旦肩に固まった物が頸の方へ行くのですから、肩をやると頸の廻りの固まりも非常に溶けやすくなります。ですから肩こそあらゆる病気の急所です。」

                                               (「御教集24号」S28.7.6.)

 

 

 

《浄霊》

 

 

 

 肩、背中の両側、肋骨末端部、横からもする、腹の中心線、

 

 

 

 臍のまわり、腎臓