D-④ 肺 結 核
そうして此症状が胸部であるによって、医家の診断は肺結核又は肺浸潤とするのであるが、実は此際は肺には何等異状はないのである。何となれば、右は肋骨の内部症状ではなくて肋骨の外部であるからである。然し、何分発熱とラッセルとレントゲン写真に雲状を顕すに於て、肺患と誤診するのは無理もないのであるが、之は全く否である。故に、此症状は余の治療に依れば、一人の例外なく全治するに見ても、肺に異状のない事が明かであらふ。
次に、肺患悪化の原因として、特に消化不良の一事である。そうして、此原因の大部分が謬れる医療の為である事は言ふまでもない。それは、肺患と知るや、医療は絶対安静を行ふのである。此為運動不足に由る胃弱は著しいものであるのと、今一つは消化薬を服用させる事であるが、事実に於て胃を強め、食欲を増進させよふとする其目的とは反対の結果となるのである。」
(「医学は退歩したか」医書 S11.4.13.)
「私が多くの肺患者を診査するに於て、実に驚くべき事を発見するのである。それは、拾人中九人迄は肺に異常が無いのである。(中略)先づ今日、肺患者を診査するに於て、残らずと言ひ度い程同一の症状である。それは、微熱と咳嗽と喀痰、血痰、喀血、不消化、下痢、盗汗等である。
そうして、夫等病症発生の原因は、何れにあるかを詳細に探査してみると、第一の微熱は、全然肺からではない。左右頸部の淋巴腺及び肺尖の上表、即ち頸部の付根から、肩胛部附近又は、背部へかけての膿の溜結からである。それで、最初其部へ掌を宛つれば、特に熱いので発熱の根拠が明白に判るのである。そして、熱のある部分には必ず大小グリグリ状の溜結を発見する。
随而、其溜結を本療法によって溶解すればするに従って解熱し、病状は軽快に向ふのである。此際何等肺の治療は為さないに不拘、軽快するに見て、全然肺とは関係の無い事を知るのである。
次は、肋骨の一枚一枚、多くは乳の附近であるが、之を指頭にて圧すれば、可成強い痛みを感ずるのであって、之は肋骨膜に膿が溜結してゐる證拠である。而も例外なく、此部に顕著な発熱があるので、非常に肺患と誤られ易いのである。
即ちレントゲン写真には、疾患状に写り、聴診器にはラッセルが聴えるからである。然し、之は決して肺とは関係が無いのであって、即ち肋骨より外部即ち皮下であるから、指頭に明かに触れるのに見て明かである。故に、之を解溶するに従ひ、熱は去り、痛苦は消失するのである。又、医家によっては、之を乾性肋膜と診断するが、之も大なる誤謬である。
次は咳嗽であるが、之も驚くべき大誤謬がある。それは、肺患が原因で出るのは、殆んど無いのであって、其大方が喘息である。(中略)
又、此膿結は胃を圧迫するから、不消化は免れないのと、胃薬服用による逆作用に因って、消化不良になる事と、絶対安静による胃腸の沈滞の為と、此三つの原因に由って、甚しい食欲不振となり、それが衰弱の原因となるのは当然な理である。
又、盗汗は水洗法の如うなもので、熱によって解溶せる毒素を、体内の水分が洗出して、外部へ排泄するのである。故に、之等を皆悉く病素を軽減すべき、浄化作用である。にも係はらず、医療は此浄化作用を停止しやうと努むるのであるから、一時は多少の軽快をみるも、実際の結果は病気治癒の妨害になる訳である。(中略)」
(「驚くべき肺結核診断の誤診」 S11.5.3)
「(中略)微熱の原因としては例外ないといふ程、各患者に共通点の症状がある。それは、淋巴腺及び肺尖上部即ち頸部の付根、肩胛部、背部及び両胸部、重に乳の附近の肋骨膜に、膿の溜結と汚血の滞溜を見るので、之は容易に診断が出来るのである。それは前述の部に掌を触るれば、必ず発熱がある事を知る。(稀には無熱のもある。それは長時日絶対安静をさせ、自然治癒力即ち浄化力を衰退さした結果であるから、是等は浄化力恢復に従って再び発熱するものである)それは膿結の為であるから、指頭で圧すれば必ず痛みがあると共に、大中小のグリグリがあるのである。(中略)
次に、今一つの重大事がある。それは肺結核は絶対に感染しない事である。元来、結核とは膿の溜結が時日の経過によって頑固性になった為であって、斯ふなった膿は終に腐敗状になるのである。其腐敗膿に黴菌が自然発生するのである。例へて言へば、あらゆるものが腐敗をすれば、蛆が湧くのと等しい理である。之に就てよく経験する事は、新しい膿は臭気がなく、古くなるに従って臭気が増す
(中略)」 (「肺結核を作る医療」 S11.5.25)
「(中略)結核初期患者を診査する時、其微熱の発生所とも言ふべき場所を見出すであらう。それは淋巴腺及び頸部の付根、即ち肺尖の上表部に数個のグリグリを発見する。其部所を指頭で圧する時、必ず痛みがあるがそれは膿の溜結である。さうしてそれに軽重のある事は勿論であって、それは悪性ほど高熱とより痛みとがある事によってよく判別出来得るのである。」
(「結核撲滅の大方策と健康日本の建設」 S11.6.15)
「(中略)風邪が解熱剤其他の物的療法によって、一旦解熱したように見えても、実は水膿溜結はそのまま残されたのであるから、人間の浄化作用は再び発熱によって溶解しよふとするのであります。且つ其後に幾分加はった膿と相俟って発熱は漸次執拗を増すのでありますが、再び解熱法をするので、斯の如き事を繰返すに従って、容易に解熱しなくなるのは当然で、斯うなった症状の場合、それは肺の初期といはれるのであります。
そうして、右の膿結の為に、其後に発生した水膿は頸部附近へ集溜し難くなる。それは水膿なるものは、排除される可能のある個所へは集溜するが、固結して排除不可能になった個所へは集溜しなくなるもので、(中略)此理によって水膿は、漸次胸部の辺に停溜する事になるのであります。そうして人間は常に腕を使ふ関係上、どうしても両胸部特に乳部へ神経が集注されるから、其部の肋骨に膿結するのであります。(中略)
女は乳の辺へ溜るので、それが「痼り(シコリ)」となって、乳腺を圧迫する。それが為、そういふ人は子供を産んでも、乳の出が悪いのでありますが、それを解くに従って乳が出て来るのであります。」
(「肺結核増加の原因」療講 S11.7.)
「(中略)所謂、肺患になる迄の順序を述べてみませう。最初、浄化作用に因る水膿や毒血が頸部の周囲に滞溜しますが、それの浄化作用が風邪であって、それを繰り返しつゝ、胸部の水膿溜結に迄及ぶ、順序は「病気の本体」の項目に詳しく述べてありますから略しますが、それから進んで心窩部の両側-臍部辺にかけて水膿が溜結する。
之が喘息の原因であって、咳嗽や息切がおこるのは勿論、喀痰も伴ふのであります。尚進んで腹膜部迄水膿溜結するので-それが腸を圧迫し、又は水膿排除作用によって、下痢症を起すのであります。
肺患の場合の咳嗽も、殆んど此喘息の為が大部分であります。尤も肺患そのものからの咳嗽もあるにはありますが、それは肺炎の予後『肺臓内に残存せる喀痰』による場合と-肺壊疽、肺臓癌、粟粒結核などであります。もっとも『頸部、肩部、胸部に於ける熱発』による咳嗽などもありますが、それは軽微であります。」
(「肺結核及び喘息」療講 S11.7.)
「(中略)よく喀血や痔で出血する事がありますが、之は決して浄血ではないので、毒血であります。浄血は、病気では排除されないものであります。そのことを知らない為に、喀血でもすると非常に吃驚するが、之は大変結構な事なのです。ですから喀血する肺病は、十人が十人治ります。
又、喀血性は殆んど発熱がない。稀には微熱のあるものもあるが、滅多にないのであります。此症は、膿結がないから、発熱の必要がないのであります。医学の方でも喀血をする肺患は、質が良いといふのは、そういふ訳であります。
喀血性肺病は、普通業務に従事しつゝ自然に任しておっても治るのでありますから、少しの心配も要らないのであります。」 (「毒血と膿」療講 S11.7.)
「(中略)感冒の浄化作用停止が回を累ねる結果、肺結核となるのであるから、近来の結核の増加は、感冒を防止する事により、感冒は陰性化天然痘毒素であり、それは又、種痘の為であるから、結核増加の根本的原因は、種痘といふ事になるのである。」
(「病原としての天然痘毒素」医試 S14.)
「近来、肺結核は年々増加の傾向を辿り、国民病といってもいい位蔓延しつつあるのである。之は如何いふ訳かといふと、前述の感冒が浄化作用の停止を繰返しつつあるうち、終に解熱法にても解熱せず、此熱によって疲労感、食欲不振、羸痩、咳嗽、盗汗、喀痰等の症状を呈し、それがなかなか執拗なので、結核初期の告を言ひ渡されるので、そうして、その多くは十五歳以上弐十五才位迄が一番多く、弐十才前後が特に多いので、之は何故かといへば、前述の各種の症状は、何れも浄化作用のそれである。最も生活力の旺んな年頃に起るのは当然である。それは、種々の方法を以てしても旺盛なる生活力に負けるからである。
然るに、医学の説明によれば、過労とか、睡眠不足に帰してゐるが、もし、過労の為とすれば、勿論過労や睡眠不足の為とすれば、それ等による衰弱の結果とするのであらふが、衰弱の為の結核発病とすれば、老年者程結核に罹り易い訳ではないか。元気旺盛の青年に多く、元気消耗の老年に少いといふ事は、現代医学の説明は、実際とは相反してゐると思ふのである。之を以てみても、結核的症状は浄化作用の旺盛なる為であるといふ事は判るのである。
今一つ別の方面から説明してみよふ。現在結核療法としては、第一に絶対安静、営養食、薬物療法等であるが、之は絶対安静を行へば、漸進的衰弱を来す、衰弱を来せば、衰弱を来す程、浄化作用も弱り、従而、熱は下降する。熱が下降すれば、喀痰は減少する。喀痰が減少すれば、咳嗽が減少する。丁度、病的症状は軽減するから治癒に向ふやうにみえる。其際少し全身を動かすとか、運動をするとかすれば、病的症状は増加する。それは運動によって浄化作用が起るからである。
故に、之等現代療法は、病気治癒せんとして、実は治癒しないやうにするのである。そうして、幸ひにして浄化作用停止し長時日を経て、毒素が固結する迄になると、病気が固まったといって、大体医師は全快したやうにいひ患者もそう想って喜ぶのであるが、実は病毒を排泄したのでなくて、排泄を止め、体内に固めたのであるから、丁度、爆弾を抱いてゐるやうなもので、何時爆発するか解らないのである。此爆弾が爆発した時、それを再発といふのである。」 (「肺結核」医試 S14.)
「(中略)先づ、肺結核の初期から述べてみる。之は感冒の時に述べた如く、感冒の浄化作用、何回もの停止によって溜結せる毒素が青年期の活力旺盛時代に入り、防止不可能になって解毒法も効果ないといふ状態である。此時は殆んどが肩部(特に左肩)頸部の下辺に溜結せる毒素の浄化作用としての微熱である。此時、医家の診断は、大抵肺尖加答児又は肺門淋巴腺といふ。
療法として絶対安静、営養食、注射、服薬、頭冷、湿布等であるが、之等は何れも浄化作用停止法であって、安静は胃腸を弱らせ、服薬、注射、頭冷、湿布等は何れも漸進的衰弱をなさしめるので熱は下降し、熱が下降するから毒血が溶解しないから喀痰は減少する。喀痰が減少するから、その喞筒(ポンプ)作用である咳嗽が減少する。一見病気が軽快に向ふやうにみえる。其際患者が安静を破って運動すると発熱する。それは運動によって活力が出るから、浄化作用がおこるからである。
医療は如何に之を固めんとするかはよく判るのである。斯様な状態で幾月も幾年も持続する内、追加物たる薬毒の浄化作用が起るのであるが、此薬物浄化は高熱を伴ふものである。長い安静によって相当衰弱せる患者が高熱に遇っては、その衰弱は非常な速度を増し、終に死に到らしむるのである。此末期に於て、薬毒集溜個所は全身に及び、特に肋骨、胃腸、腹膜部、咽喉部、腎臓部、頭部、股間淋巴腺等である。」 (「肺病(一)」医試 S14.)
「(中略)感冒防遏(ボウアツ)の結果、漸次身体各局所に然毒、尿毒、薬毒が集溜凝結するのである。然らば其局所とは如何なる所かといふと、先づ全身的ではあるが、大体は一定してゐる。
それは頸部の周囲、特に左右延髄附近、頸部淋巴腺附近、左右肩部(特に左側)左右の腋窩部即ち腕の付根、肋骨及肋骨附近の全部又は一部、左右横隔膜の下辺、胃部より腹膜部、鼠蹊部淋巴腺(特に右側)左右肩胛骨(特に左側)の下辺及び脊髄の両側及び背面腎臓部等である。
私が多くの結核患者を治療した経験によれば背面腎臓部及び腹膜特に臍の周囲に毒素溜結してゐる者が最も多い事である。これが発熱、咳嗽、食欲不振、倦怠感等の原因となっており、之等を治療する事によって肺結核的症状が大いに軽減するのである。之によってみれば、医家が肺結核と断定せる患者は実は慢性腎臓炎と慢性化膿性腹膜炎が多い事が判るのである。医家の診断は此腎臓部及び腹膜部の毒素溜結が発見出来ないやうである。(中略)」
(「肺結核」明医一 S17.9.28)
「(中略)先づ、水泳選手をみるに、これは両肩部の頸腺部に接した局所へ甚だしい毒素溜結がある。之は、水泳に於ける動作の為であるから止むを得ないのであるが此結果は如何になるかといふと、或時期に到って浄化作用が起り、右の毒素溜血に微熱が発生し、咳嗽と喀痰が伴ふので、医家の診断は肺結核の初期とするのである。」
(「スポーツ医学」明医一 S17.9.28)
「先づ、結核に於ける第一期第二期の症状としては、微熱、咳嗽、喀痰、盗汗、疲労感、食欲不振等であるが、此程度の病症なれば、自然治癒によっても治るのである。その方法としては、成可苦痛にならない程度の運動をするのである。そうする事によって右の如き症状が増進するのは勿論である。然し乍ら、それが浄化作用促進となるから、漸次病症は軽快、治癒に向ふのである。そうして食事は出来るだけ菜食が良いのである。(中略)
次に、第三期以上の結核に対し、解説してみよう。結核治癒の過程に於て、他の疾患に見るを得ない特異性がある事である。それは第三期以上の患者に限るといっていいので、それに就て私は説明してみよう。
先づ、三期以後の結核患者が本治療を受けるや、非常なる好結果を顕はし、短時日にしてすべての病的症状は軽快し、全快期の幾(チカ)きを想はしめ歓喜してゐると、急に高熱、咳嗽、喀痰、食欲不振等の症状が次々発生するので驚くのである。そうして此再発的症状は頗る執拗ではあるが、治療により病毒が排泄し、症状が軽減するに拘はらず、衰弱の為斃れるといふ例がよくあるのである。
右は如何なる訳かといふと、結核患者が、最初発生した浄化作用を医療によって抑圧するので、浄化力は漸次微弱となるから、一時は快方に向ふ如く見ゆるのであるが、真の治癒ではないから、遂には一進一退の経過を持続しつつ、何時快方に向ふや見当がつかなくなるといふやうな頃、多くは本療法を受けるのであるが、其場合、最初の浄化作用以後追増した毒素を溶解するので、一時的効果が顕はれるのである。
従而、患者は食欲増進し、徐々ながら運動も行ふから、漸次浄化力が再現し最初の浄化作用発生時と同様の状態となるのである。然るに、最初の浄化作用発生時の如き健康状態であれば、浄化作用終了迄体力が充分持続なし得る為全快するのであるが、長時日の誤療によって衰弱したのであるから、一時軽快したと雖も、旺盛なる浄化作用に堪へ得られずして、衰弱死に到るのである。
故に、三期以上の結核患者を治療する場合右の如き悪結果を来さない為には如何すればよいかといふ事を書いてみよう。
先づ、一旦軽快して再浄化が起った場合、それは例外なく左の症状を呈するものである。それは、左右孰(イズ)れかの延髄部が特に腫脹してをり、そこに高熱の発生があるのである。そうして右が腫脹してゐれば右の腎臓部に大固結があり、左が腫脹してゐれば左の腎臓部に大固結があるものである。従而、延髄部が両方相平均してゐる人は稀である。勿論、一方の腎臓部に固結がある場合、他の腎臓部も若干は必ずあるものである。又腎臓部に固結があれば、化膿性腹膜炎が必ずあるものであって特に結核患者は著るしいのである。
それが又食欲不振の原因でもある。故に、再浄化発生の場合、先づ第一に腎臓部の固結が溶解縮小しただけは、延髄部と腹膜部の毒結は、非常に溶解し易くなるのである。そうして右の如く腎臓部を第一とし、延髄部、腹膜部を次とし、胃部、肝臓部等の治療を行ふのであって、場合により一日数回位行ふのである。そうする事によって極めて好結果を挙げ、順調なる治癒過程をとるやうになるから、三期と雖も全治するのである。
右の如く、腎臓を主とする治療によって結核は完全に治癒するのであるから、もし意の如き好結果の表はれない場合、それは腎臓部の毒素溶解が不充分であるから一層、腎臓部の治療を徹底さすに於て、初めて予期の成果が顕はれるのである。」 (「肺結核治癒の過程」明医一 S17.9.28)
「(中略)結核患者は悉くといひたい程、腎臓及び化膿性腹膜炎を有ってゐる。それが又発熱の原因となり、食欲不振、下痢、咳嗽、疲労等の結核症状の原因ともなるのである。故に私が腎臓、腹膜だけを治療して、結核の治った経験が少なからずあるのである。(中略)次に、羸痩(ルイソウ)は結核に附物であるが、此原因は勿論食欲減退と発熱と精神作用によるものであるが、特に発熱が肉体を消耗する事は甚だしいものがある。」
(「食欲不振と羸痩」結正 S18.11.23)
「(中略)肺結核患者が例外なく頭脳の浄化が伴ふ事である。之も読者は意外に思ふであらうが、事実であるから致方ない。即ち結核患者の頭脳は例外なく相当の発熱を見る。之に向って施術を行ふや、忽ち咳嗽と共に吐痰をする。此場合頭脳内の溶解毒素は間髪を容れず肺臓内に流下し、喀痰となって排泄さるるのであるから、宛かも肺自体の患部より出づるとみるは無理はないのである。
然るに現実は頭脳の発熱が減少するに従ひ、正比例して結核症状も軽快に向ひ、頭脳が全く無熱になった時結核も全治するのであるから、一点疑ふ余地はないのである。勿論頭脳内毒素が減少するに伴ひ、全身的各局部の毒素も排泄さるるのである。」 (「頭脳の重要性」天 S22.2.5)
「医学上、結核は病菌の感染に因るとされてゐるが、実際は曩に説いた如く誤れる医療の為と、今茲に説く処の病霊に因るといふ此二つが真の原因である。」 (「肺結核」天 S22.2.5)
「(中略)結核に就て今一層判り易く説明してみよう。それは最初医家が結核の初期と診断する時実は肺は何等異常はないのである。其際肺臓内に若干の喀痰が滞溜してゐる為であって、ラッセル、レントゲン写真の雲翳がそれである。勿論、微熱、咳嗽等の症状が伴ふのは軽微の浄化によるのである。
そうして右の如き肺臓内の喀痰は何の為に発生したかといふと、如何なる人と雖も、体内凡ゆる局所に毒素が集溜し、固結してゐる。而も右の局所とは意外にも頭脳、股間、鼠蹊部淋巴腺、腕、脚、腎臓部等を主として、全身随所に毒結があり、それ等が浄化によって液体化すると共に、即時肺臓内に浸潤滞溜する。
それが第二次浄化の発熱、咳嗽、吐痰を待ってゐるといふ訳であるが、肺炎の如き強烈な浄化であれば短期間に排泄し得るが、結核の場合はそれが緩慢である為、長期間に渉り喀痰は逐次的に肺臓内に浸潤増量するのである。
然るに、医療は極力浄化停止を正しき療法と誤認してゐるから、咳嗽、喀痰を恐れ、その排除を停止しやうとする。停止された以上次々浸潤の喀痰は累積増量し、病勢は悪化の経路を辿る事となる。そこで医療は倍々安静其他の衰弱手段を講じ固めようとする。之を一言にして言えば、人体の方は溶して出そうとする、医療の方は固めて出さないようにするといふ、相反する敵味方的闘争を続けるといふ訳である。
近来唱えらるゝ闘病という言葉はよくこれを暗示してゐる。結核療法が長年月に渉るのは右の理を知れば何人も肯かるゝであらう、此事の例として患者が安静に背き、些かでも身体を動かすとか神経を使ふとかすれば必ず発熱する、之は浄化力が復活するからである。
茲で、今一つの重要事を書かなければならない、それは肺臓内に於ける喀痰が、時日を経るに従ひ漸次腐敗する。如何なる物質も腐敗すれば微生物発生は万物共通の原則である。而かも体温は微生物発生に都合のいゝ協力者である。即ちこの微生物が結核菌である、随而、結核黴菌発生の原理は、彼の有名なパスツールによれば伝染であると唱え出したので、それ迄の定学説であった自然発生の理論が覆えされた事は有名な話であるが、之はどちらも真理ではない。実は自然発生の場合と伝染の場合と両方の原因がある。然るに結核菌は自然発生であって決して伝染病ではない。何よりの證拠は私は二十数年に渉って実地経験によって得た結論である。(中略)
茲で医診と医療の説明を簡単にしてみるがレントゲン写真は前述の如くであり、空洞は喀痰が腐敗し肺胞を侵蝕するのであるが、之は喀痰を除去すれば或程度原型に復すのである。近来流行の気胸療法は、空気の圧力で片肺の呼吸運動を或程度制限し、喀痰を固める方法であるから、一種の浄化停止であって効果は一時的である、血沈とは濁血は毒素分が多い為沈下が速い。
濁血の持主は病気に罹り易い、罹った場合も治癒力が弱い事等の測定である。喀痰にも新しいと古いのがあるのは当然で、新しい程透明であり、次が白色、次が青色、最も古いのは黄色黒色である。斯様な痰になると悪臭があるからよく判る、而も結核菌はこの古い痰に発生してゐるのである。
(中略)茲で結核に就て、医家が解釈のつかない事実を体験される筈である。といふのは結核患者が頗る執拗な高熱が持続する場合がある。解熱剤、氷冷、注射等を行うもさらに効果なく、主治医が首を傾げ歎声をもらす事がよくある。
今この理を説明してみるが、之は解熱法に対する反動熱である、勿論之は末期の症状であって、最初は微熱であるが、其当時無熱ならしめん為解熱剤を使用し一時的解熱はするが、翌日は発熱する。復解熱剤を用ひる、というように解熱剤を持続する結果反動熱が漸次強力化し、終に不可解な高熱となり、それにつれて解熱手段も漸次強化するといふ具合で、結局四十度位の高熱となるがこの場合医家は判断に苦しむのである。
無論その結果急激な衰弱によって大抵は仆れるのである。処が意外にも吾々の方法ではこの原因不明の熱を解熱さす事は甚だ簡単である。それは一切の解熱法をやめ放任しておけば一旦は頗る高熱になっても、漸次解熱するのである。之は私の永い経験上、例外なく成功したのである。」 (「結核の原因」自叢一 S24.6.25)
(「肺炎と結核」文創 S27.類似)(医革 S28.類似)
「今一つこういう事があった。それは高熱、咳嗽、喀痰等の症状で医師からは肺結核とされていた。ところが私が診ると意外にも、右側股間鼠蹊部に固結があるので、これだなと思ってそこを浄霊したところ短期間に全治したので、私は「あなたの肺は股にあったのだ」と言って大いに笑った事がある。是は全く鼠蹊部の固結が浄化によって微熱喀痰となり、肺臓内へ移行して咳と痰になったのを肺結核と誤られたので、これらはよくある話である。」
(「人体は綜合的である」自叢十S25.4.20.)
「(中略)人間は誰でもオギャーと生れるや、例外なく先天性毒素を保有していると共に、生長するに従い、大多数の人は後天性毒素をも追加する。(中略)右の両毒素こそ結核の真の原因である。
(中略)『風邪は万病の基なり』などと言い恐るべきものとされ、感冒に罹らないよう注意すると共に、罹っても色々な手段を以て、毒素排除を停めようとする。即ち折角溶けかゝった毒素を元通りに固めようとする。此手段こそ実は結核の原因となるのである。」
(「医学が結核を作る」結信S27.12.1.)
「医学特に結核患者に対しては、安静を最も重要とされてゐるが、之は前にも述べた如く大変な間違ひである。ではどうするのが一番いいかといふと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないやう気儘にする事である。
例へば熱があって大儀な時は、寝ろといふ命令を身体がすると思ひ、寝ればいいのである。又寝たくない起きたいと思うのは、起きてゐてもいいと命令されたと思ひ、起きればいいのである。歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄ひたければ唄ひ、仕事がしたければするといふやうに、何でも心の命ずるままにするのが本当である。気が向かない心に満たない事は止す事である。
要するにどこ迄も自然である。之が結核に限らず、如何なる病に対しても同じ事がいえる。
食物も同様で、食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食う。之が最もいいのである。薬は勿論不可ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食はなかったりするのも間違ってゐる。人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に食べたくないものは食べるなといふ訳である。
そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。少しは差支へないが、成可野菜を多く摂る方がよい。処が今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、之が大変な誤りで、一時は元気が出たやうに思ふが、続けると必ず衰弱を増す事になる。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。動物性のもののみを食ってゐれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命に関はる事さへもある。それに反し菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明かである。
之に就て私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、それ迄動物性食餌を多量に摂ってゐたのを、或動機で其非を覚り、菜食にしてみた処、それからメキメキ恢復に向ったので、医学の間違ってゐる事を知り薬も廃めて了ひ、三ケ月間絶対菜食を続けた処、それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。其後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到るも矍鑠として壮者を凌ぐものがある。もし其時それに気が付かなかったとしたら、無論彼世へ旅立ってゐたに違ひないと、今でも思う度にゾッとするのである。
今一つは喀血の場合である。之こそ菜食が最もいい。以前斯ういう患者があった。肉食をすると其翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるといふ、実にハッキリしてゐた。之でみても菜食のよい事は間違ひないのである。
今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、之も間違ってゐる。それは原理を知らないからで、疲労とは勿論運動の為で、運動をすれば足や腰を活動させるから、其部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する。微熱は疲労感を催す、それが疲れである。併しそれだけ毒素が減るのだから結構な訳である。何よりも運動を旺んに行ひ常に疲労を繰返へす人は健康であるにみても判るであらう。だから草臥れた際足や腰の辺を触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。
「(中略)結核は大体感冒から始まるとしてゐるが之は誤りで、実は斯ういう理由によるのである。既記の如く感冒に罹るや、液体毒素即ち痰が一旦肺臓内に停滞する場合、医療は之を凡ゆる手段を以て排泄させないやうにする。其為解熱し咳といふポンプ作用も停止されるので、痰はそのまま肺臓内に残り固り、治ったやうに見へるのである。
そこで安心してゐると又風邪を引く。何しろ折角出やうとした痰を固めた以上、再び浄化作用が起るからである。その時医師に診て貰うと、風邪の症状の外に肺内に痰の固りがあり、ラッセルも聴え、レントゲン写真にも溶けかかった痰が雲翳状に映るので、茲に結核初期と診断するのである。
之によってみても分る如く、初めから肺に病はなかったのを、医療が凡ゆる手段を以て作った訳である。それを一層詳しくかいてみるが、元来体内各局所に固結した毒素が浄化作用発生するや、一ケ所乃至数ケ所から溶けはじめた痰は、間髪を入れず肺を目掛けて浸入するのである。
そうして毒素固結個所としては、頭脳を中心に首の周り、肩、肋骨附近、背部、腹部、股等の順になってをり、之によってみても結核の根本は体内全部といってもいいのである。此発見こそ全く世界的のものといってもよからう。(中略)
そうして何といっても医学は、結核問題の焦点は結核菌とされてゐる。之に就ては医学の盲点を充分開明しなければならないが、右の如く肺内の痰の固りが古くなって、腐敗するから菌は湧いたのである。腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、而も体温といふ好条件が拍車をかけるに於てをやである。その結果菌は益々殖え、肺胞を蚕食するに至り、空洞が出来るので、それが写真に映るや医診は悪性と断ずる為、それを曰はれた患者は精神的大打撃を受け、失望落胆急に悪化するのは誰も知る通りである。(中略)」 (「結核の病原」医革 S28.)
(「結核」ア救 S28.1.1類似)
「最後に、結核が他の病気に較べて、特に執拗で治らない原因をかいてみるが、一度結核となるや、何と言っても薬物が主となる以上、最初から種々の薬物を体内に入れる。それが原因となって、経過が長引くので患者は焦って凡ゆる薬物を求めるといふ鼬鼠ゴッコになり、漸次体内に薬毒が溜り溜ってどうにもならなくなる。其薬毒が肉体を蝕ばむ以上、遂に不治となるのである。
そうなると痰迄が薬の臭ひがする位であるから、全く恐ろしい錯誤と言えよう。従って三期結核は薬毒病と言ってもいい位で、斯ういう患者を私はよく治療したが、その目的は薬毒を除るだけである。何よりも薬毒が減るに従って、漸次恢復するに見て明かである。但し此薬物を除る方法こそ私の発見した浄霊法である。」
(「肺患と薬毒」文創 S27.)結革 類似
「(肺結核患者を御浄めしても治らぬ人の多いのは私の「御力」がまだ弱いからでしょうか?)
結核患者はとも角薬毒が多い。所で医学の方は固める方法ですが、こちらは溶かすのであってそこに大変な違がある。従って医学の方で治しても暫くすると浄化を起して再発する。御浄めの方は溶かして出すんだからやってる中に咳や痰が出る。で衰弱を増すことになる。これが非常に難しいのです。
一番いい方法は、極く徐々にすることです。一週一回か二回する位がよい。所が早く治さうとして余計すると早く溶けすぎて、その結果食欲が減り病気がよくなっても、体が参って了ふ事が多い。又極く衰弱したのは引きうけない事です。それ程衰弱してゐない病人なら御浄めは余りしないで、信仰に重点をおいて信仰に入る様にする事です。但し之は肺病の場合だけであって、他の病気はそうではない。肺病以外の病気は出来るだけ御浄めした方がよい。」
(「御光話録」S23.8.8.)
「これは、特に肺病に多いんですが、肺病がすゝむと月経が無くなるもんですよ。つまり貧血になるんです。」
(「御光話録9号」S24.)
「どうも結核はよく再浄化するんでね、大抵この時が危いんですよ。これも衰弱の程度によりますが、ひどくなると駄目ですね。で、こんなのの急所は一ケ所や二ケ所ぢゃなくて方々にあるんです。一番の原因は右の延髄ですね、こゝが浄化すると熱が出る、そうすると衰弱する、衰弱は熱の為ですからね。
それから首、喉の辺の淋巴腺ですね。又頭のこゝ(脳天)の事もあるし腋の下、肩、腎臓、それから股なんかですね。股に熱が出てその為に咳の出る事もありますよ。以前そんな人がゐたので、あんたの肺病は股だ、股に肺がついてるって言ったもんですよ。そういふ急所を浄霊すると熱は下るもんですよ。
(御浄霊致しますと熱は一旦下りますが、又上って参ります)
はあ、それは急所を外れてしまふんですね。急所をやると直き楽になるんですよ。それから浄霊すると却って咳が余計出る人がありますが、これは見当違ひの浄霊の場合がよくあります。
例へば咽喉に原因があるのに肩を浄霊すると肩が浄化して来て、それが又咽喉に移るために余計咳が出るんです。平均浄化ですね。だから、浄霊しても熱が下らないとか咳がふえるとかいふ場合は見当違いぢゃないか考へる事ですね。普通は浄霊すれば熱も下り食欲も出て来るもんですからね。」 (「御光話16号」 S24.11.)
「(中略)それから浄化が強くなつたりするに就いて、肺病の治し方を変えなければならない。一番怖いのは結核の再浄化です。一旦治つてから暫く経つてから又起きるのです。あれが一番怖い。ですから再浄化になつた場合には浄霊を一週間に一回位にするのです。そうして安静にする。安静と言つても医学の様に床縛りになる様なそんな安静ではない。まあ床の上で寝たり起きたりする位で、便所位は行つても構わない。そうして浄霊を一週間に一回位やる。
そうすると段々熱が冷めて来ます。そうして熱が冷めたらボツボツ動き出す。そうして浄霊も一週間に二回か三回やつても良い。浄化が強くなつて来たから、再浄化の場合には衰弱してそれで参つて了うのです。それには浄霊をしないで安静にする事です。そうして熱を無くする。
というのは再浄化が起る様な人は薬毒がうんと入つてますから、以前ですと薬毒がチビチビ出たが、今は薬毒がチビチビでなくてドシドシ出ます。その為に熱が出る、咳が出る、痰が出る、食欲が減りますから、そこで衰弱してそれで駄目になる。ですから今はそういう様にゆつたりと極く気長に、早く治そうとしない――そういうやり方でも、良い加減浄化が起るのです。兎に角それが一番順調に行く方法ですから、そういう風にやる事です。」
(「御教集13号」 S27.8.5.)
「(中略)よく肺病などで胸に熱があると言いますが、あれは胸から熱が出るのではありません。若し胸から出るなら肋間神経痛です。骨から出る事があるが之が肋間神経痛です。だから肺から熱が出るという事は肺炎以外にありません。結核ではありません。
結核の熱は大抵頸の廻りです。それから肩の事もありますが、大抵頸の廻りです。その頸の廻りから出る熱を、肺からと間違っているのです。それを発見するのに一番良いのは、前に坐らせて斯う(不明)みるのです。延髄から少し横の方に固りがある。斯うしてみると必ずどっちかに固りがある。そうして斯うしてみると、此処にグリグリがあります。それから人に依っては顎の下にグリグリがある。ですから此処(頸部)をやると必ず熱は下ります。
それからくっつけてはいけません。それで離すと草臥(クタビ)れるから小指をつけて、少しも力を入れないで気持丈を通してやると、案外早く熱は取れます。之が一番の急所です。それから額にいって、此処をやると取れる事もありますし、頭脳の中心を此の位(少し)離して真中を狙ってやるのです。それから一尺位離して額の奥の方をやるのです。そうすると大抵の熱は冷めます。
それから又胸に痛みの無い場合は、先ず此処から熱は出ないと思って良い。それから腰から熱が出る場合がありますが、之は訳なく治ります。それ丈覚えて置くと間違なく冷めます。それで斯う(御浄霊)やる場合に、力を入れると溶けが悪いから熱は冷めません。
だから出来る丈力を抜くのです。そうすると割合早く熱は冷めます。頭痛などというのは早く取れます。肺病は胸から出ると思っているから、いくらやっても熱は冷めるわけがありません。見当違いだからです。それから股から熱が出る人が沢山ありますが、それは局部的でその部分だけです。」 (「御教集16号」 S27.11.16.)
「(中略)結核などでもこれ(淋巴腺)が多いです。だから胸の病気というのは間違っていると何時も言いますが、つまりこれが溶けて肺に浸入して、其処に固まりが出来るのです。そこで固まりがあるから胸の病気と言うのです。元は淋巴腺にあるのです。」 (「御教集22号」 S28.5.6.)
「(中略)よく肺病の人に息切れが多いですが、あれは肩が少し溶けたものが此処に来て固まるのですから、やはり元は肩にあります。結局結核は肩が第一、それから頸の廻り、それから肋骨附近と思って、その浄霊をすれば、まず治ると言ってよいです。
ただ衰弱が或る程度を越えて過ぎていると、浄霊を始めても間に合わない事がありますから、それだけは心得ておかなければいけません。やはり肩をやっても、肩で溶けたものが一旦肺にはいって痰になって出るのですから、衰弱しきっているのをやっても間に合いませんから、それだけは心得ておくとよいです。それから食欲がないという事は肩のためという事を知っていればよいです。ですから胃を浄霊するより肩を浄霊した方が食欲はつきます。
それからもう一つは頭ですが、結核の熱というのは頭が多いですから、これは肩をやれば頭もよくなります。けれども前頭部を触ってみれば熱があるのは分りますから、それも一緒にやれば、より早く治るというわけです。」
(「御教集23号」 S28.6.15.)
「(中略)肺病に対する治し方について、(中略)話します。結核は浄霊すればしただけは毒が減ってゆきますから治りますが、ただそのために衰弱して、衰弱で参ってしまうのです。衰弱するという事は食欲が減るためです。だから食欲が出るようにすればよいわけです。
それにはどうすればよいかというと、根本は肩なのです。結核の人は必ず肩が固いのです。中には骨みたいに固い人があります。骨と間違える事があります。私なども元結核をやりましたから、肩胛骨のちょっと上の所に骨か肩胛骨の続きだと思っていたが、押すと痛みがあった所をだんだん溶かしていたら、これはやっぱり薬毒の固まりです。それは非常に固いものです。だから肩を主に溶かすのです。
それで肩が柔らかくなると食欲が非常に増します。私は前に"やせるのも太るのも自由自在だ"という事を書きましたが、そういうようで、肩さえ柔らかくすれば食欲は幾らでも出ます。これからは結核患者は肩の固い所を一番主にして溶かす事です。それで食欲さえ相当にあれば結局衰弱しないから治るに決まっています。今まで気がついては居ましたが、それほど強調しなかったのです。今度はそれを最も強調するというわけです。
ですから肩が第一、それから頸です。(中略)ですからとに角肩です。肩を第一にして、頸の廻りを第二にすれば、これで肺病は大体治ります。それでこれが又心配したりして頭を使ったりすると、結核になってからですが、"結核だと言われた。オレはもう結核だ、どうしよう"というような心配をすると、前頭部に集まって来るのです。
それを溶かすには此処(頭の中心)をやればよいが、そうすると熱が出ます。それで体温計をやると、その反響が脇の下まで来てますから、七度五分とか八度とか言うことになります。此処(脇の下)に熱があるからお医者さんは胸だと間違えるのです。肺病というのは胸の病気ではないのです。頸の病気、肩の病気、中には頭の病気と言ってもよいです。ですから頭を浄霊すると盛んに咳をし痰が出たりします。
そういうようで、結核は胸に関係はあるが原因はありません。これが熱で全部溶けると、一旦肺にはいって、咳と痰が出るのです。それで此処(胸)をレントゲンで見ると其処にあるから、それで此処が悪いと考えるのです。実に単純な考え方です。ですから胸の病気ではないのです。これは本に詳しく書いてあります。
それから頭を溶かしますが、これが痰になるのは早いもので、間発を入れずに肺にはいって出ます。それから股(マタ)とかお腹をやると、すぐ溶けて腎臓に行きますが、この速さは一秒の何分の一という速さです。その場合には管とか筋とかは通らないのです。一ぺんにパッと来るのです。これは霊的に来るのです。そうしてそれが物質に変化するのですから、実に神秘なものです。
何処かがちょっと痛いとすると、その痛いと感じるのは頭ですが、それは一秒の何分の一か何百万分の一か分らない速さです。痰もそうです。何処かで溶けるとパッと肺に来るのです。そして肺から出るのです。ですからこの辺の毒が痰になるのもすぐです。(中略)
今言ったようにやれば結核はまず治ります。ただごく酷くなって、末期になった者はしようがありません。骨と皮になって、熱が高くて、もう医者は見放したというのはしようがありません。これは程度を越してしまっているのです。それでも治ると思ってやると飛んだ目に遭います。
やはり肩を或る程度柔らかくするまで生命が持続するというのが根本ですから、肩を柔らかくし、食欲が増すまでに間に合わなかったら、これはしようがありません。そこのところをよく見別けるようにしなければいけません。(中略)
それから今までは結核は一週間に一回くらい浄霊をするという事を言いましたが、これは取り消しにして、これからは、浄化がだんだん強くなりますから、あの事は浄化が強過ぎるから、浄化を緩(ユル)めるために言った話なのです。これからは浄化を緩めるという事はだんだんできなくなりますから、今度は逆に、できるだけ浄化を促進させて積極的にきれいにするという方がよいです。
(「御教集23号」 S28.6.17)
「(中略)結核は出すべき痰を出さぬようにするからで――。外部が多い。内部のは古くなっているから非常に臭い。」 (「講話集補」S23.12.18.)
「(再浄化・・・)
特に肺に関係した人によくある。浮いてる毒が一たん除れる。すると丈夫になって、今度は内部の長く固まったのが除れる。之を再浄化といっている。なかなか難しい。再浄化が極く緩慢に来るよう浄化を微弱にする方法と一遍に短期間に治す方法とある。それはその人の固まった毒の多少によって決める。多量に薬を服んだのは再浄化の時駄目になる。状態によって臨機応変にする。病人は縋ってくるし、非常に困る事がよくある。」 (「講話集補」S24.5.4.)
「(月経の多い人と少ない人とでは・・・)
体的である。月経が多いのは血が多い。血を作る機能が強いのである。故に多い方がよいし、健康である程多い。」 (「講話集補」S25.2.7.)
「(中略)肺病になって月経がなくなると余程悪くなっている。衰弱が増してるから、注意を要する。陰毛など進む程薄くなる。」 (「講話集補」S25.2.7.)
「(中略)風邪を引かぬ様にする事が結核の原因である。」 (「講話集補」S24.1.26.)
「結核は強い薬を沢山入れているから再浄化するのが多い。浄霊により体に力が出てくると、体的の薬毒の排泄作用が起る。強い浄化するのもその為である。そういうのは必ず肩に大きい塊がある。急所へ触れてやるとズンズンよくなる。故に急所を発見する事と塊を溶かすだけの霊力の強さを要するが、大抵そこまで行くと駄目になる。要するに浄化が強いと思えばよい。」 (「講話集補」年代不詳.)
「(四年前より肺結核、三十八、九度の熱が持続、浄霊を受けても全然熱が取れず、分会長先生の浄霊を頂いた翌日、もの凄く浄化を頂き、脂汗を流して苦しみました・・・)
難しい。肺結核は殆どこれである。約四年間に薬飲んでいるから、浄霊をすると薬が溶けて出る。それで咳、痰、熱が出るので衰弱する。病気は治るが、衰弱するのでもたない懸念がある。塊が溶けねば熱が冷めぬ。非常な霊力が要る。徐々としてやる外はない。一週間に一回か二回やって安静にする。病気と浄霊を睨み合はしてやる。生命に関係した病気は治ってから入信するようにせよ。」
(「講話集補」年代不詳.)
「再浄化の方が重い。最初はドンドン治る。最初は浄化力の弱いのが、強く浄化が起って上面だけ除れる。すると浄化力が強くなる。長い間溜めたのが根本的浄化が起るから、その方が重い。再浄化は一週間に一ぺん位の浄霊にして気長にやるのが一番よい。」 (「講話集補」S24.11.21.)
「(結核の浄霊・・・)
身体がよくなってくると浄化が起り、弱る。それを浄霊してよくなる。之を繰返す。体力が続けばいいが、病気が治りつつ衰弱する結果になる。一週に一度づつ浄霊して気長にやる方法と、一日に五回も六回も滅茶々々にやる、そして早く浄化する――此二つの方法だが、前者は普通の人でよいが、後者は霊力の相当強い人である事を要する。」
(「講話集補」S24.2.26.)
「(痰の出ない咳(空咳)の原因・・・)
痰が固い。肺の中へ古い痰が固まっている。」
(「講話集補」S24.7.15.)
「(産前産後とも咳、痰、寝汗等ひどく、咳の出ない時は肺門が苦しい・・・)
毒が固まっていて浄化している。頭の毒が溶けて咳になる。首の周り、肩も多い。急所を発見してすると治る。よく心得ていればよい。」 (「講話集補」S24.11.8.)
「(中略)普通、結核は治り易いが、衰弱で駄目になる。熱と排痰の苦痛によって衰弱する。再発は固めたのが溶けてくる。」 (「講話集補」S24.10.23.)
「(肺結核となり、病状は昼夜にわたる咳嗽の連続で、夜は眠る事が出来ず、浄霊第一日目には咳嗽も少くなり夜も眠れたと、第二日目より咳嗽がひどくなって来て居ります・・・)
之は菜食すればよかった。鶏スープは反対である。浄霊は見当違いである。余程注意しなくてはいけない。急所を浄霊すれば咳は少くなる筈である。
もう一つは平均浄化に注意しなくてはいけない。それを早く見つける。咳の一番出るのは頭(前頭)である。私など圧迫感のある時頭をするとすぐに痰が出る。熱のある所、グリグリのある所、腹、腎臓、股、横隔膜等を浄霊する。急所をすれば必ず治る。」 (「講話集補」568 S25.5.8.)