B、各 論 B-5-2、藁について
「藁について」
今度、多くの自然農法の報告を見るとどうも藁に頼りすぎる傾きがある。本当をいふと、別段藁をやらなくても、増収に変りはないのである。只寒冷地などで土が冷へる場合、温める為に藁を使ふのである。そして藁は出来るだけ細かく切る方がよい。長いと根伸びを妨げるからである。どうも今迄の肥料迷信が抜け切れず、藁の成分に肥料があるやうに思ふやうだが、そんな事は決してない。いつもいふ通り、土自体が肥料の塊りのやうなものであるから、土を重視し、土の機能を充分発揮させるやうにすればいいのである。
(「藁に就て」栄83号 昭和25年12月20日)
「堆肥の使い方---藁は田に」
「島根県出東村で、青年団の主催で、農作物の品評会があり、一つは初年度、二つは二年度で特賞品に入りました。その時、明主様の御論文や、松井先生の書かれたものを二百部持つて行つて居りましたが殆んど出ました」
それは面白いね。さつきの、農業を書いてある――土の精分ですね。土全部が肥料だと言う事を、大いに話するんですね。今日の自然農法と言うのはね――落葉や枯草は自然だ――つまり神様ですね。その言う事を大いに強調するんですね。だから、固まらない土だつたら、土許りで良いですよ。何も不純物を混ぜてなかつたら、とても良く穫れるんですよ。米なんか、今の倍位穫れます。土の本来の力を発揮するからね。丁度、人間が薬を飲まない様なものです。
「その場合、堆肥は必要がなくなるので御座いましようか」
固まらなければね。土自体の性質もありますからね。赤土なんかね――ああ言うのは固まらない迄、堆肥を使わなければならない。
「畑の方は草の落葉で――」
そうです。
「下の方に入れますので、或は混ぜますのでしようか」
混ぜる必要はないですね。葉にもよりますがね。松葉みたいなものは、杉だとか――針葉樹の様なものは、土に混ぜて良いですが、葉の類は筋がありますからね。あれが腐る迄大事ですからね。葉は床に入れると書いてあるでしよう。然し、土に混ぜても良いですよ。それは臨機応変ですね。
「畑に、草の方と藁を切込んだのとやつて見ましたが――」
藁は米――稲ですよ。
「畑の藁は――」
藁は畑に入れちやいけませんよ。理窟にはずれている。藁は何処迄も米です。
「麦に藁は――」
藁はいけないです。畑のものは、全て落葉と草です。
「畑の場合に、附近に落葉も草も御座いません場合に、麦の藁を使用する事は――」
いけませんね。麦は固いものですね。長く置いて腐れたものは良いが――相当長くね。取りに行けば良い。無精するからです。一里や二里行けばありますよ。草を――雑草を生えさせる為に土地を空けて置いても良いじやないか。何んな処でも――種を蒔かなくても生えます
(御垂示録5号 昭和26年12月6日)
「藁は堆肥には不可」
“無肥料耕作の場合、平担地の農家で堆肥にする山草や木の葉が入手し難く、その上藁は殆ど牛の飼料となって了います。牛を売って藁を残した方がよいでありましょうか。御教示願います。
“藁は堆肥にいけない。(硬すぎる)草か木の葉に限る。草の葉が一番いい。(軟い)どうしてもいけなければ何にもやらず土を吟味する。赤土を避ける。(木の葉の場合は充分腐らせる)
(「堆肥の藁」S24・7・25)
「藁を入れる時期」
「自然農法の場合、苗田を作ります時、その直前に小さく切つた藁を入れておくのと、冬の間に入れて置くのは、どちらが宜敷いでしようか」
冬の間に入れて置く方が良い。堆肥は早く入れて置く方が良い。
(御垂示録1号 昭和26年8月5日)
「藁は冬入れて置いても宜敷いでしようか」
良いですよ。早い方が良いから、冬でも良いですね。
「肥料と言う観念が取れない為に、暖めると言つても、肥料と言う感じが出て居る様で御座います」
ありますね。追々取るんですね。
(御垂示録4号 昭和26年11月1日)
「藁に肥料分はない」
藁を入れますね。藁を入れると――藁に肥料があると思うが、全然関係がない。土と言うものの認識が本当に出来ていない。仕方がないから、今度「土は肥料の固り」と言うのを出します。
(御垂示録6号 昭和26年4月1日)
「藁、紫雲英、窒素肥料を入れるのは・・・」
“神示の耕作について御尋ね致します。砂土の田にて毎年取れた藁全部と青刈紫雲英全部と、窒素肥料五、六貫目位施しても普通田より三斗位少なくしか穫れませんが、自給肥のみにて増産出来るでしょうか。御教え下さい。
“之は勝手な行り方である。よく出来っこない。これは純然たる無肥で、土を清浄化しなくてはいけない。紫雲英は、人間が見て楽しむ為に神様が造られたもので、之を肥料に使うのは神意に叛く。藁は土を温める為で、出来るだけ細かく切る。根伸びをよくする。つかえるといけない。窒素肥料も一時的なものである。
(「不自然耕作」S24・9・7)
「田に入れる藁の大きさ」
“無肥料栽培の場合田に入れる藁の量は如何程が適当でせうか。草の思ふやうにない所では畑に藁を入れることの可否、草の沢山ある所では田に草を入れることの可否を御教示御願ひ申し上げます。
“長くてはいけない。極く短くする。長いのならやらぬ方がよい。草を入れてはいけない。
(「藁の大きさ」S24・8・29)
“無肥料栽培に使用する藁は一分か五厘位に切って使えとのお言葉でありましたが、衝撃式粉砕機の如きものにて五厘以下の粉にすることは如何でしょうか。あまり粉になると悪いでしょうか。
“細かいほどいい。根がつかえぬ。
(「切藁の大きさ」S24・10・19)
“私は目下鳥取市を中心に開拓していますが、同地方の田は精々三寸位しか掘る事が出来ません。五、六寸も掘ると下の粘土層が傷つき、水が地下へさがって仕舞ふ所です。藁又は枯草を如何なる方法にて土に入れるか。お伺ひ致します。
“藁を細かく切って土と交ぜる。
(「藁を入れる法」S24・10・26)
「現在は四年目の種があり、各支部に配つております」
それは結構です。もう一つは、私の言う通りしないんだ。水田に草を入れますがね。あれはいけないんです。私は藁と言つてあるでしよう。藁丈で良いんですよ。却つて、普通の草を入れると悪いんですよ。それで、又藁を細かく切ると言うのを、一寸とか五寸とか言う之もいけないんです。先ず一、二分ですね。
「動力の藁切機がありまして、五厘位にでも切れます」
そんなに細かくしなくても良い。一、二分位で良いです。
「草の堆肥が悪いのは、如何なる訳で御座いましようか」
理窟にはずれているからね。草は畑の堆肥です。草は、水田に入れると、浮いて流れちやつたり、土に混じらない。
(御垂示録8号 昭和27年3月1日)
「昨日神光中教会関係の岐阜の自然農法を見学致しましたが、大変有難いと思いました。私も五年ばかりいろいろやってみましたがどうも結果が上らなかったので……」
五年もやって結果が上らないというのは、やり方が悪いのです。
「地力の養成とか苗の取扱い方が大変間違っておりました」
どういうように間違っていたのですか。
「耕土を深めにする方が結果がよいという事を知りました」
耕土を深くするという事は別に新しい事ではありません。近衛内閣の時に、耕土を深くしろと、日本中に触れを出しているでしょう。
「間隔を広くして、非常に楽な植え方をしておりました」
しかしそれは技術上の問題で、自然農法の根本的な問題ではありません。つまりあんまり接近すると日当りが悪いので、間隔を離したら日当りがよいから、ずっとよくなります。肥料はどうしてます。
「全然入れておりません」
最初からですか。
「さようでございます。藁を入れ過ぎていたようです」
それです。やっぱり肥料迷信です。だから藁も入れない方がよいのです。ただ、寒い所だけは温めるために入れるのです。あなたは何処ですか。
「豊橋地方です」
豊橋なら藁は全然要りません。あなたが一番間違っていたのは藁を入れた事です。それで私は最初一分か二分と言ったのですが、それを五分ぐらいにした人が居るのですから、全く頭が悪いのです。
「五年目よりも三年目の方が良く出来ていまして……」
それがおかしいではないですか。五年目より三年目が良く出来るという事は理窟に合いません。それはやっぱり間違った事をしているのです。
「やっぱりいろいろと方法を変えて来た結果ではないかと思います」
とに角こういう事は今まであんまり喧ましく言わないが、土を良くする、土の活動力を出させるという事です。土の活動力というのはどうすれば出るかと言うと、連作のためなのです。だから稲でも豆でもよいから、同じ物を其処で年々作るに従って、土の方ではだんだんそれを育てるような機能が出て来るのです。ですから無肥料にしてやると、肥料が減るし、それから土の方が活動力が旺盛になるという事だから、年とともに非常に増えてゆくのが当り前です。しかしそうばかりではなく、其処の気候もあるのです。雨の多い時と天気の多い時と、それによってもやはり相当に影響するから、若しも去年よりも今年の方が悪い時には、そういう事もあります。しかしそれが他の土地の田よりも、そういった悪い影響が少ないという事は確かです。
「成績が上らないという事は、過去の古い肥毒が停滞しているためでありますから、一冬耕して風化させるという方法があるのではないかと思われます。そう致しますと雨で洗われて肥毒が減り、それからはドンドン増えるようでございます」
それは確かによいです。よい参考になります。それを大いに奨励するとよいです。
「私の方で、全部を天地返しをして風化させましたところ、去年は五俵半でしたが、今年が初年度ではありますが十俵は間違いなしのようで、初年度で八割増産でございました。有難うございました」
それは大したものです。
(御垂示録25号 昭和28年10月1日)
「藁肥について」
“古老の話によりますと、山形地方ではその場所に生育した稲藁の半分か三分の一のみを肥料として収穫を得ていたそうですが、観音栽培を致します場合、この程度の藁では少いでございましょうか。
“いい加減でいい。多すぎても少なすぎる事はない。出来るだけ短く切った方がよい
(「藁肥」S24・9・23)
“観音耕作にて水稲を作る場合、藁は全然堆肥としなくともよいでしょうか。(これらは苗代の場合)
“藁は出来るだけ細かく切って、土と混ぜる。熱を吸収するから、土が温まる効果がある。故に成可く底の方へ混ぜた方がよい。畑の土へ混ぜてはいけない。
(「藁の堆肥」S24)
「稲藁の量について」
“水田一反歩に必要な藁の貫数を御教え下さい。
“臨機応変でいい。定量は要らぬ。堆肥は土へ混ぜるのは草の葉がよい。草の方が繊維が柔かい。苗床は木の葉がよい。
(「藁肥の量」S24)
“山形の或地方では、その場所に生育した稲藁の半分か三分の一のみを肥料として収穫を得てゐるそうですが、観音栽培を致します場合この程度の藁では少いでせうか。
“之は多い少いぢゃなくて、いゝ加減に――つまり、藁は熱を吸収して根をあたゝめる為だから、藁は出来るだけ短く切って早く腐る様にする事ですね。
“藁の量はその程度で宜しいでせうか?
“えゝ、いゝですとも。それに藁は外にも使ひますからね。半分か三分の一で丁度いゝでせうね。
(「御光話録15号」昭和24年9、10月)
「有肥の藁の堆肥は」
“無肥料の藁と有肥料の藁を堆肥として田畑に施してみた場合、作物に現われる相違点を御教示願います。
“有肥が不可である以上、藁も不可である。
(「有肥無肥の藁」S24・9・16)
「堆肥の藁と草」
“私は本年初めて無肥料栽培を実行させて戴きましたが、土に藁を入れたのと草を入れたのとは、藁を入れた方が成績が良い様に思はれましたが、人にも色々よく聞かれますので、どちらが良いでせうか。
“草でよい。畑は特に草がよい。稲は水の為草は浮くので、藁を土で練る。本当は草がいい。
(「堆肥の藁と草」S24・11・26)
「栽培に牛馬の寝藁使用は・・・」
“無肥料栽培の場合、牛馬の寝藁は用ひてもよろしいもので御座居ませうか。果樹栽培の場合、剪定致してもよろしいもので御座居ませうか。
“牛馬の糞尿がなければよい。糞尿のかからぬ寝藁はいい。汚い所は土を汚す、無肥料はきれいにする事。今迄は土を汚くする事を考へた。逆である。
(「牛馬の寝藁使用」年代不明)
「馬小屋の踏草、敷藁等の処置について」
“無肥料栽培に就き、「馬小屋」の踏草、敷藁等の処置、特に使用致し度く、其の処理方法を御教え願い上げます。
“肥料にしてもよいが、馬糞尿などのついたのはいけない。土に悪い影響がある。きれいな草葉や枯葉がよい。汚い物だと土を汚す。すると土は弱る。土は大変有難いものであって、土に痰をしたり唾したりするのさえいけない。山へ上って小便などするのもいけない。断ってすべきである。 山の神の天狗が怒る。(天理教では肺病になるという)
土を汚す事も、今迄は夜の世界で、浄化力が弱かったからいいが、これからはきつく尤められる。霊界が変ったのであるから、無肥料ほどいい。虫害も昔はあんなにひどくはなかった。
(「土汚す事、霊界の変化と無肥料」S24・5・26)
「昨年より悪い例・・・藁の肥毒」
「地方に参りまして、自然栽培が去年より悪いと言うのがあり、根本的に原因があるのではないかと思い聞いて見ました処、人糞の処理法がない為に自然栽培をしてない農家にやつて、その農家から、交換として藁を貰つて、それを堆肥に使つていると言うので御座いますが、その様にやると言うのは、一つの罪悪になるので御座いましようか」
悪いですね。薬を悪いとは知つていても、捨てるのは勿体ないと言うので、人にやる様なものです。藁を貰うのは構いませんよ。然し、交換すると言うのはいけないですね。
「その藁を使つた場合に、有肥の藁ですと、肥毒は――」
無論ですとも――影響します。
「それを使うと言う事は――」
肥料を食つた藁は勿論いけないですね。
「それを間違えて居りますので――」
間違えているんですね。
大体、何時も言う通り、土の肥毒が抜けなければならない。処が、藁の肥毒が入つては、何んにもならない。薬毒が僅かあつても浄化が起る様なもので、肥毒が僅かあつても影響します。
(御垂示録4号 昭和26年11月1日)
「藁の肥毒により収穫量は変わる」
「藁を他所から貰つて入れたもので、初年目減収すると言うのは――」
それは簡単に言えません。何故なら、藁が肥料を多く使つているか、いないか分らないし、土地の良い悪いがあるから分らないが、普通の藁より悪いに違いない。肥毒があるからね。そうしてはいけないが――それから藁、藁と、非常に藁を利用しますが、それ程ではない。何故なら、藁は土を暖める為ですからね。それから、切り方がある。大きく切つている人があるが、細かくするんです。一分以下ですね。それが、一寸位にしているのがあつた。粉みたいにするのが良いが、手間が掛るから一分位ですね。稲作は肥料が抜けるのは早いです。始終水がありますからね。雨が降つたりすると流れますからね。割合早いです。畑の方は溜りますから、御念が入つている訳ですね。
「浄霊すると、含んでいる化学肥料が浮いて来るから――」
浮いて来るんじやなくて、溶けるんです。
「浮いて来る様な形になりますので御座いますが――」
浮いて来ると言うのはね。古いのと新しいのがありますが、新しいのは溶けていくんです。肥料の霊が薄くなるんですね。化学肥料と言うのは汚たないですが、少なくなるんです。
「深い処にあるものが、浮いて来ると言う事は御座いませんでしようか」
それは、化学肥料が濃い場合ですね。非常に強い場合ですね。沈澱したりするのは、そう言うのは浮く場合もありますよ。然し、一年位のものです。それは、余程強くやつた場合ですが、普通はそう言う事はないです。
(御垂示録4号 昭和26年11月1日)