第六章 正神と邪神
1、正邪の闘い
「邪神と正神は常に対抗している」
「兇党界とは悪魔の世界であって一名邪神界ともいふ。此団体は常に正神と対抗してゐるのである。神の方に八百万あるやうに、悪魔の方にも八百万あるのである。そうして正神は此世界に善を行はんとするに対し、邪神は悪を行はんとし、常に相対峙してゐるのである。丁度人間の中心に於て本守護神と副守護神と闘争してゐるやうなものである。(守護神については後に説く事とする)(後略)」
(「兇党界」 昭和18年10月23日)(類似「兇党界」天 昭和22年2月5日)
「正神界と邪神界は対峙している」
「(前略)抑々霊界に於ては、太初から邪神界という悪の世界と、それに対峙している正神界という善の世界があって、常に鎬(シノギ)を削って闘っている。そうして邪神界の頭目は非常な力を有って君臨し、何億の部下を自由自在に駆使し、彼が最後の目的たる全世界の実権を掌握しようとする驚くべき大計画の下に、着々成果を挙げつつあるのである。そんな訳で最も邪魔になるのは、善を唱え正義を目標とする宗教者であるから、偶々宗教的偉人が出現するや、凡ゆる手段を以て弾圧し、亡ぼそうとする。今日迄の幾多の宗教が一時は旺んであっても、いつの間にか骨抜き同様にされるのは負けたからであって、その理由こそ私が常に唱える今日迄は夜の世界、即ち月神の主宰で、光が弱かったからである。(後略)」
(「正邪の戦い」 昭和28年7月25日)
「邪神と正神との戦は、光の戦い」
「(前略)人間は霊衣を持っており、それが厚くなるほどいい。厚くする程仕合せになる。不仕合せの時など殆どなくなる。霊衣を厚くするには多くの人を幸福を受ける状態に導く。すると感謝する、すると光になってくるから霊衣が厚くなる。霊衣が厚くなると悪い霊が憑れぬ。邪霊が憑るには憑るだけの状態にある。特に狐など霊衣に光があれば憑れぬ。
邪神と正神との戦は、光の戦いである。神は光を発揮しやうとされ、邪神は光を遮らうとする。光明如来様は、光の仏様であるから邪霊が恐がる。光明如来の文字から光が出る。光が出ると全体の霊界が明るくなる故にお掛軸をかけると、どことなく明るくなる。掛ってない家に行くと何となく暗い。(後略)」
(講話集補 S23)
「光と光の戦い」
「それで光についても或る程度知っておく必要があります。要するに、つまり光と光の戦いです。邪神の光と神様の光との戦いです。邪神の光というが、邪神にも光はあるのです。今のレントゲンの光は邪神の光です。ですから光の喧嘩です。ところがあれは邪神の作ったものだが、邪神にもやっぱり偉いのと偉くないのがあって、大体神様の方の光を押さえる偽(ニセ)の光というものがあるのです。しかし根本において違うわけです。
では邪神の光はどういう働きをするかというと、固める働きをします。今までのいろんな事、霊術師とか宗教というのは固める力なのです。固める光です。つまり邪の光、邪光です。だから今までは信心してよく病気が治る場合もありますが、それは固める治りであって、溶かす治りではないから、御利益があったと喜んでいても、こっちで治すのと違い、いろんな排泄物は出ないから、一時治るのであって、根本において医学と変りはありません。物質的光です。だから固める光というが、固める光というのは月の神様から出た光です。ところがだんだん霊界が昼間になって来ると固まらなくなって来たのです。そこで既成宗教というのはだんだん病気が治らなくなって来たというので、どんな宗教でもみんな病院を作った原因なのです。
(後略)」
(「御教え集24号」 昭和28年7月17日)
「大金龍と大赤龍の戦い」
「茲に、今より三千余年以前、天の安河原の誓約(ウケイ)
に依て生れ給ひし、五男(ナン)三女(ジョ)の天津神が、或事情の為、隠れ身の止む無きに立至り、弥勒神政迄を限りとし、各々、龍体となって、日本を中心に、各方面の海洋湖水等に身を潜め、時を待ち給ひ居たのである。彼の釈尊が八大龍王を封じ込めたりと言ふ伝説は、斯事に外ならないのである。
然るに、八大龍王の上に、一の主龍神が被在(アラ)れた。御本体は、伊都能売神龍と申上げ、実は、高貴なる御神霊が、黄金の龍体と化せられ、琵琶湖の湖底深く潜み給ひ、八大龍王と倶に、時を待たれ給ひたのである。
茲に、愈々、天の時来りしを以て、湖水を後に、天空に向って一大飛躍をせんとしたのである。然るに、一方、邪神の頭目として永く露西亜(ロシア)
の死海を本拠とし、常に、世界人類へ対って、悪の活動を続けてゐたる、一大赤龍があった。其大赤龍が、突如として、昇天せんとする、大金龍あるを識るや否や、大いに驚き、急遽、翔馳(ショウチ)し来り、是を妨圧せんとし、茲に、神龍、悪龍の一大戦闘は開始されたのである。然し乍ら、予期しなかった金龍の金剛力に、到底敵すべくもないのを知って、遂に惨敗した赤龍は、遠く本拠へ向って遁走し、爰(ココ)に此時の戦闘は終りを告げたのである。」
(金龍物語(口絵霊写真の解説)光世三号 昭和10年5月21日)
「八大龍王と八岐大蛇」
「 (八大龍王と八岐の大蛇とは何か関係が御座いませうか、御教へ下さい。)
八大龍王は神、八岐大蛇は邪神である。であるから戦っている。伊都能売金龍は赤龍と戦っている。赤龍は八岐大蛇と兄弟分である。」
(講話集補 S24・8・15)
「神は争いはしない、するのは邪神」
「(前略)神は如何に神格を下げられても争ひは絶対なさらない。戦いは邪神が乗じたものである。夜は月の光以上は発揮出来なかった。(国祖御隠退もそういふ訳である)(後略)」
(講話集補 年代不明)
「世界情勢は正邪の戦いの表われ」
「世界情勢といふのは、正神邪神の戦ひの表はれである。それでいろいろの変化があるのである。邪神の出方によって神様の出方は違ってくる。」
(講話集補 年代不明)
「凶党界と副霊の関係」
「凶党界は邪神の本部で、副霊と霊線が繋っていて悪い事をさせる。神様はさせないようにする。邪神は暗黒でなくては働けぬ。昼間になると光明が輝いているから働けない。それで副霊は働けず本霊に力が出る。であるから、邪神界はどうする事も出来ない。」
(講話集補 S○・1・14)
「サタン、提婆は邪神で神様の妨害をする」
「【問】キリストとサタン、釈迦と提婆との因果関係に就て御垂示御願ひ申し上げます。
【答】サタン、提婆は邪神で、事毎に神様の妨害をする。始終私などの妨害をしている。サタンは赤龍で、人間を使ふ。」
(講話集補 S24・6・19)
「邪神は躍起となり、獅子奮迅の活躍をしている」
「キリストにサタン、釈迦に提婆は誰も知ってゐる処であるが、吾々と雖もサタンや提婆が常に根気よく狙ってゐる。面白い事には、時期の切迫につれ、彼等邪神は愈よ躍起となって、昨今は獅子奮迅の勢で活躍してゐる事で本紙にも近頃目立って掲載されてゐるから知らるるであらう。之等によってみても、邪神の運命の最早目睫に迫ってゐる事が想察さるるのである。という事はキリストの言った最後の世の前夜ともいうべき今である。
一口に邪神というが、邪神にも大中小種々あって、その頭目は兇党界の支配者で、曇りの多い人間程邪気の霊線によって自由自在に操られ、神に対し不知不識妨害手段をとるのである。(後略)」
(「邪神と没落」昭和24年11月20日)
「悪魔は地獄へ落そうと一心になっている」
「(前略)天国を現界に作るのが我観音会の御用なのである。宗教は人を天国へ上げようとして働き、悪魔は地獄へ引落そうと一心になってかゝっている。此の働きが現界に於て宗教と悪魔との戦いなのであるが、今迄は皆悪魔に負けているのである。それは今迄悪の守護であった為、悪の方が力が強かったのである。(後略)」
(「神幽現三界の実相」昭和10年8月15日)
「小善には小悪が、大善には大悪の邪神が妨害する」
「(前略)宗教なるものは霊主体従の法則により、霊界に於ける神々が主神の命に従って、時と所と民族に適応する救いを行うので、キリスト教、仏教、マホメット教の如きは、其最大なものである。勿論宗教の建前は善を諭え、人類社会を天国化するにあるので、人間からみれば結構ではあるが、邪神の方では全然反対である。というのは邪神は悪の人間を作り、苦悩に充ちた地獄社会を作るのが目的であるから、絶えず正神と闘っている。之が霊界の実相であって、其まゝ現界に映るのであるから、見らるゝ通りの地獄世界である。
そうして小善には小悪の邪神が妨害し、大善には大悪の邪神が妨害するのは勿論である。此様な訳だから我メシヤ教に対しても、絶えず邪神界の頭目が妨害に当っている。何しろ歴史肇って以来ない偉大な宗教であるから、邪神界は大恐慌を起している。此事は細大洩らさず私には分るが、信者の方でも各地に於て神憑等によって、其片鱗を知らされているであろう。そうして今最も活躍しているのが赤龍と黒龍の頭目で、之が多くの眷族を使い、共同的に妨害しているのであるから堪らない。其争闘たるや血湧き肉躍るの概がある。
それらを赤裸々にかきたいが、今は神様から止められているので、残念乍ら、何れ時が来れば発表するつもりである。処で何程邪神の頭目が大々的に妨害しようとしても、コチラの方には金剛力を揮われる最高の神様が附いているから、一時は負けても最後は必ず勝つので心配は要らないが、勝つ迄の苦しみは相当なものである。然し随分妨害され乍らも、順調に発展しつゝあるのは見らるゝ通りである。
茲で知っておくべきは邪神の特長である。それは驚く程の執拗さで、幾度失敗しても決して懲りたり諦めたりするような事はない。どこ迄も彼の手此手でやってくる。其点迚(トテ)も人間では想像もつかない程である。而も其無慈悲残虐なる悪魔的心理に至っては、形容の言葉すらないので、之が邪神の本性であるから致し方ないのである。そうして悪魔中の力ある奴程、人間界の社会的地位ある者やインテリゲンチャ、ジャーナリスト中から選び憑くのであるから、此真相が分ったなら愕然とするであろう。
従って斯ういう凄い悪魔と、それ以上の神様との闘いが始終行われているに拘わらず、見えざる霊界の事とて知る筈もないから、人形同様に躍らされているのが万物の霊長様である。勿論当事者である私にはよく分るから、恐ろしい事もあり、面白い事もあり、愉快でもあるので、此心境のみは如何なる人でも分らないのである。而も今度の御神業に於ける正邪の戦いは、古往今来嘗てない程の千変万化、虚々実々の大芝居で、只神秘と云うより外はないのである。
処でそれに就ての大きな問題は、地球の一大転換である。それは昔から今日迄の神と悪魔の戦いで即ち夜の世界であったからで、神の方が一旦敗北すると、挽回に相当の時を要したものが、最近に至っては非常に狭まって来た事は信者も知る通りである。処が今や昼の世界に移りつゝあるから、邪神の力は段々弱まって来た。其為挽回の速い事は、反ってプラスになる場合さえある位で、それは事実が示している。
一昨年五月のアノ事件は、一時は致命的と思われる位の打撃を受けたので、世間では再び起つ事は出来まいと思われたに拘わらず、僅か二年を経た今日、箱根熱海の地上天国の進捗や、教勢の拡大等誰も予想のつかない程の発展振りである。従って若しアノ事件がなかったとしたら、此何倍の発展か分らない筈である。というのは神様の威力が非常に強くなった証拠であるから、何といっても今一息という処まで来ているのである。(後略)」
(「宗教と妨害」栄172号 昭和27年9月3日)