第一章 メシヤ様の御神格
9、水晶殿に於いて
そのような中、同年12月には、瑞雲郷の最も眺望のよいところに、水晶世界の雛型をあらわす「水晶殿」が完成するにいたりました。完成した11日の水晶殿の竣工式において、まず大草直好管長より「今日ここに水晶殿が完成されまして、明主様のご遷座あそばせることを深くお喜び申し上げます」という一同を代表したご挨拶を受けられた後、粛として居並ぶ教会長を前に、メシヤ様は低く厳かなお声で、
『しゃべりたい事はありますが、ま、しかし、やっとこれだけ声が出て、これが、やっぱ、頭、響くみたいですよ。ですからあの阿部さんにね、私が言いたい事を書いてもらっておきましたから、それで、阿部さんから後で話がありますから、それをよく聞いて今後の方針を立ててもらいたい……。只一言だけ言いますが、愈々御神業の本スジに入って来たわけですですからこれから色んな変った事が沢山出てきますから、まごつかないように……。それにもう一つは、驚くような事が段々世の中に出て来ますからね。それについて、私は神様から知らされてますが、とに角余程肝っ玉を落着けないと、中々大変ですからね。それだけお話をしておきます』
と述べられ、一同平伏する中をお部屋に戻られました。しばらくして阿部晴三執事が戻って来られて次のようにお取次ぎされました。
「本日、明主様が水晶殿に御入りになられますにつきまして、仰せられました『御言葉』を御取次ぎさせて戴きます。
『水晶殿は地上天国の一部の雛形として、神様が御造りになるようさせられたものであって、これを神様はメシヤ教に造らせるようになされたものである。又、今後教団の組織にも多少の変革があるものと思う』との御言葉でございました。尚、これにつきまして、一言付け加えさせて戴きとうございますが、明主様には、『この水晶殿は決して独占的のものではないので、―人でも多くの人々に天与の景勝地を楽しんでもらいたい』と仰せられていますので、教団としては、この御趣旨を体し、皆様に御助力願いたいと思います。(中略)又教団の組織の事につきましては明主様には、段階――階級を設けられるような御模様でございました。その標準としましては、一つには、最も御浄霊力の優れた人、又、信者を沢山お導きになられた方、又、神様に対して非常に御奉仕の強い方、こういった点を考えまして教団で決めるように、という意味の御言葉を仰言っておられました。私から御取次させて戴きます事は以上でございます。」
という内容のものでした。
このお言葉の中に「これから色んな変った事が沢山出てきますから、まごつかないように・・・。」という部分がありますが大変重要なお言葉で、メシヤ様の御神格をしっかり理解して、御教えをしっかり拝読して腹に落として理解しておかないと、まごつくということです。
さらに「余程肝っ玉を落着けないと、中々大変ですから」とお述べになっているのを考え合わせると「何が真か」ということが分からなくなり、迷うということではないでしょうか?
このことは、現在の系列教団の多くを見れば理解できるのではないでしょうか。
ですから、我々信者としては、起きてくる事象に対しては、御教えに返して判断していかなくてはいけないということになります。
具体的には、それぞれの教団から出される方針に対しては特にそうであり、専従者の言葉も御教えに返して判断していかなくては間違うということです。
また、教団の組織とか人事についても、
1、最も御浄霊力の優れた人
2、信者を沢山お導きになられた方
3、神様に対して非常に御奉仕の強い方
このような点を考慮して決めるということです。しかし、メシヤ様ご存命中はこの体制は出来ませんでした。さらに現在までどの団体においてもこの救いの体制は出来ていません。
実際の組織にあっては、専従者と信者という一つの区別がありますが、現在において、このような区別する考え方や物の見方は、非常に間違っていると思います。
メシヤ様にお使いいただく地所位は違っていても、専従者、信者の分け隔てなく、信者にしろ専従者にしろ、この水晶殿の3訓を信仰課題として日々積み上げ、利他愛があり、誠の強い自分作りに励みつつ、そうした人達を中心に「徳で治める」救いの体制を作っていくということが大切であると思うのです。それが本来の世界救世(メシヤ)教であると・・・。
話は戻りますが、この日、メシヤ様が、水晶殿にお出ましになり、教団役員や教会長に御垂示あらせられた頃、つつじ山参道やメシヤ会館側の道路に参列した資格者や信者さん達は、水晶殿より空に向って立ち上る巨大な光の柱を拝しました。
初めは、水晶殿のメシヤ様の御座所辺りと思われる御位置から白雲のようなものが立ち上り、その下の方から次第に金色に変わることに、居並ぶ信者さん達が気付き、「アッ、御光だ!御光だ!」という声があっちこっちから上りました。また、その立ち上る御光の雲を拝しているうちに光の柱と変り、大空に届くが如き情景を拝しまして、参拝者一同、メシヤ様の御威徳に感動したということでした。
そして、メシヤ様は、その夜、一夜を「水晶殿」で過ごされました。
ここで「水晶殿」の御遷座祭については、他のホームページで掲載されていた参考になる資料があるので、学びたい方は読んでいただければと思います。
〔参考文献2〕
「天のみろくは水晶の館に一夜を宿し、
天に帰りて再び地上に降りて火の守護をいたすぞよ」
〔参考文献3〕
「その1 水晶殿に大御神光を拝して」
「その2 水晶殿に御神光を拝す」
「その3 御神光の奇蹟」
〔参考文献4〕
「S29年の水晶殿上棟式及び水晶殿完成について」
そして、昭和29年7月6日には、側近奉仕者へ
『水晶殿は、水晶世界の型である。水晶世界になれば、水晶の心にならねばならぬ。一寸の邪念があってもいけない。一切を無にしなくてはいけない。我があっては神意に添わない。その水晶の心となるように修行すれば、神様より素晴らしい力が頂ける』
とご垂示あらせられました。
この御言葉を心に刻み「水晶の心となるよう」信仰心を培い、自らの向上に励みたいと思います。
さらに、メシヤ様は、昭和29年7月13日には、側近奉仕者へ
『人類救済のために余を真似よ』『メシヤ教の教えは厳しくなり、少しの間違いも許せない』
と仰せになられました。
また、昭和30年1月22日には、側近奉仕者へ
『(前略)私のまねをしなさい。私はそんな事はしないだろう、もっとしっかりしなさい』とのお言葉を、。さらに、『御神書を読んでいるのか』「はい、読ませて戴いております」。『御神書にそんな事は書いてないがなあ』と仰せられました。
信者たるもの、御教えの徹底した拝読と実践が求められていると思います。また、このお言葉から考えると、薬を飲んだり、また飲ませながら浄霊することについて、メシヤ様は『御神書にそんな事は書いてないがなあ』とおっしゃられるかもしれませんね。
それでは次のページからさらに深く、明主様とメシヤ様、メシヤ様と主神様の関係等について、さらに詳しく学んで見ましょう