〔参考文献 1(御教え)〕
「大光明世界の建設
罪障消滅」
(光世2号 昭和10年1月11日)
「今晩は此処が観音会の仮本部になりましての第一回の講話会であります。
昨日は、大変雨が降りましたが、今日は大変に好いお天気で、恰度祝詞にもあります如く五六七の世、それは五風十雨であります。五風十雨とは五日目に風が吹き、十日目に雨が降ると言ふ事であり、天候が全く順調になるといふ事でありますが、丁度此処へ観音様をお鎮めしたのが、昨年の大晦日の晩でありましたが、大晦日は一日雨で正月はカラリと好晴で、それから後はお天気が続き、十日目の昨日(キノウ)
が雨で、五日の日に風が吹きました。
それで此十日間は、五風十雨、になったのは不思議であります。よほど「天候係り」の龍神様も(斯ういふ雨や風は龍神様がするんであります)気を利かしたものと見えます。之は何時迄も続くものではないが、兎も角此元旦から東方の光に依って五六七の世が実現すると言ふ型を十日間で、お示しになったものと思ふのであります。
此度皆さんが観音会へお入りになって、観音様を日々拝んで居(イ) られるし、観音様の方では会則にもある通り、大光明世界を出現せられる目的になってをります。それにはどうすればいいかと言ひますと、それはちっとも難しい事はないのであります。
神様の御経綸などと言へば甚だ矢釜しいやうでありますが決してそうではない。何故かと言ふと、それは小さくは一個人又は一軒の家庭、それが倖せになればいい。ただそれ丈の事なんであります。
今迄あらゆる宗教が出ましたが本当に倖せにして呉れるといふものは未だ一つも無かった。それは何割かは倖せにして呉れた事は慥かにありませう。まるっきり御利益が無くはなかったんでありますが、絶対に不倖せを無くして呉れ、皆が喜び勇んで暮せるといふ境遇には、して呉れなかった。でありますから何時迄経っても世の中は不倖せが絶えない。否不倖せが充満してゐるんであります。
個人的にも家庭的にも世界的にも不倖せ難渋が増えても減る事がないのであります。
詰り之は何処かに間違ってゐる点が有るに違ひないのであります。
ところが、今度「東方の光」即ち観音力に依って、そういふ一切の不倖せの原因が判り、随而不倖せのない世界が出来るのであります。病貧争のない世の中、病貧争、之が完全に無くなって了ふのである。之程偉大な力がありませうか。人類史上未(イマ)だ曽(カツ)て無いのであります。然し今迄は此不倖せを無くする為に非常な努力をして来たのであります。不倖せを無くする、その事の為に悩んで来たのであります。
例へば信仰に依って不倖せを無くする為には財産を上げたり、或は朝から晩迄拍子木を叩くとか、或は余計に称える程よいと言ふので沢山のお経を称える、そういふ事に一生涯掛ってゐたのであります。否其事自身が一つの悩みであり、不倖せであります。然し中には此の悩みを感謝し、反って幸福を感ずる様な人も有りますが、夫は一種の変態心理になって了ったんであります。斯ういふ人を第三者から見ますと、気違ひの様に観られるのであります。
勿論不倖せがあるといふ事は、罪障に因るには違ひありませんが、それを無くする為に非常な努力を払ふ、いくら努力をしてもなかなか罪障は減らないで、消滅実行中にバタバタ滅んで了ふやうな事がある。之は全く笑えない事実なんであります。世間をみればそういふ事は有過ぎる位沢山あります。そして夫を教へる宗教家や取次人が罪障消滅を非常に吹込むのであります。それも至極結構ではありますが、その罪障の消滅しない裡に種々(シュジュ)の不倖せが洶(ワ)
いて来る。非常に熱心に信仰をしてる家(ウチ)でも、罪障がすっかり無くなった家(ウチ)といふものは見た事がない。
何処の家(イエ)を見ても罪障消滅中なんで、反ってますます罪障が出て来て、いよいよ消滅しなければならないといふ、実に悲惨な状態であります。併も某宗等は管長なる人が親子争ひをしたり、莫大な借金で首が廻らなかったりして苦しんでゐるのは皆様も御存知でありませう。
併も此の宗なぞは七百年も前から法燈連綿と続いてゐるのでありますから、御本尊様が七百年掛っても未だ罪障が消滅しない位でありますから、況んや其在家信者さん達が此の先何百年経ったとて到底罪障消滅なんか出来る見込はないと言ふべきでありませう。
是等の現状を見ては此の儘済してはをれぬ。人類が斯ういふ事で満足してる様では如何にも可哀そうなものである。之をちゃんと解決しなければならない。処が愈々その解決の時期が来たのであります。」