〔参考文献 1(御教え)〕
「大光明世界の建設 光の活動」
(光世3号
昭和10年1月11日)
(昭和10年1月11日本部に於て御講話)
「私が書いた、御神体は、観音様が直接に、お拵(コシラ) えになられると、言ってもいいのでありますから、此の御神体の強い光に遇へば、一家の暗黒即ち曇は、どんどん解けて、明るくなるんで、実に簡単なんであります。
それで、一生懸命念じますと、其念願が、御神体を通して、観音様の処へ届くんであります。すると、観音様の家来は何億でもありますから、直ぐに家来に命じて、救はれるのでありますが、事柄に由っては、一瞬間に救はれるのであります。又、御神体の文字なり、お姿なりが、観音様の御意志の儘に、活動をするのであります。どういふ訳かといふ事は、とても幽玄微妙なんで、口では、説明し難いのであり、又、仮令説明をしても、人間は、今迄の学問や、唯物的知識で固ってゐる為に、非常に解り難いのであります。
恰度、アインスタヰンの相対性原理が、判る者は、日本に一人か二人位しか無い、と言はれるのと同じ様なもので、実に解り難いのであります。
霊界にも、縦横に、平面と立体が、層を成して、無限大から無限微に及んで「無限の速度」を以て「無限極」に活動をしてゐるのであって、一次元、二次元、三次元、四次元所ではないのであって、之を本当に、説明するには、相対性原理よりも難しいと思ふのであります。
之を識るには、観音の光に浴して、真に智慧證覚を磨き、不言不語の裡に覚る、詰り仏教で言ふ「大覚者」にならなければ、真相は判り難いのであります。何時か、金高さんのお宅に、掛ってをります「大経綸」といふ額の文字が、一つ一つ「大」の字から消えて、次が「経」の字、次が「綸」の字といふ風に、順々に消えては又、元へ戻り、何回も繰返すといふ話が、ありましたが之は、其文字が、活きて働くんであります。大なら大の字が、額から抜け出るが否や「無限の速度」と、「無限の拡がり」と、「無限の活動」を起すのであります。
そして「大経綸」といふ文字通りの「意味の働き」を、東京、日本、世界といふ風に拡がって、霊的活動をするんであります。ツマリ無機的な文字が、有機的に化し、文字の意味通りな活物的意志が発生する、否、活物其ものになるのであります。
又、画像の観音様を、先日、或婦人が礼拝してをりますと、眼搏(マバタ)
きをされ、眉毛を動かされ、口を開かれて、お笑ひになり、歩行される所を、有々と拝まれ、大いに、驚かれたのであります。斯いふ事は、数限りなく日々に、あるのであります。
斯いふ話をすると、そんな馬鹿な事があって堪るもんかと言はれるに、決ってをりますから、実に話が第三者の方へは、仕難いのであります。だからして、真の観音力の発現は、到底現在の人間の頭脳や知力では、想像も出来ないので、昔から観音力の事を、妙智力と言ふてありますが、実際、妙と言ふより言葉が無く、全く玄妙不可思議力なのであります。
扨て、一軒の家に、先づ「光の活動」が起きるとすると、其家の暗黒が、解けて行きますから、悪魔の活動力が、弱って行きます。
悪魔の弱るのと正比例して、悪い事が、段々無くなって行き、善い事が、増えて行きますから、自然自然に、一家は栄へ、終には天国になるのであります。ですから悪魔は、光を恐れる事、実に甚だしく、先刻の松久氏のお話にも、観音様をお祭してから、借金取りが来なくなったと、言ふ事がありましたが、それは、金は貰ひ度いのでありませうが、其借金取に、善からぬ霊が憑いてゐるので、観音様の光が、恐しいので、来られなくなったんであります。ですから、観音様をお祭りすると、悪い人は段々来なくなり、反対に善い人が、段々来るといふ事になります。
斯ういふ実例は、沢山あるのであります。又、強い光に遇ふ時は、悪魔の霊は、溶ける性質がありますから、恐ろしくて側へは、寄れないんであります。弱い光だと畏縮するんであります。
そういふ訳でありますから、光明世界を作るには、理屈や議論は後からでいいんで、先づ第一に、御神体を、お祭りすれば、いいんであります。そうすれば、朝夕拝んでゐる裡に、魂(ミタマ) が、お光に照らされて、どんな悪人でも、不良でも、善道に立還り、どんどん救はれて行くんであります。
それから一軒の家へ、観音様を祭り、信仰を熱心にしてをれば、その家が救はれるばかりでなく、黙ってゐても近親が、段々救はれてゆくから面白いのであります。斯ういふ事を見た時、其御霊徳の洪大無辺なる事は、到底--言葉では現はせないのであります。
甚だ悪口を言ふ様で、申訳がありませんが、徹底させるには、致し方がないので、他の宗教の事を、少々お話するのであります。今迄の信仰は、一種の取引関係の様な事が、往々あると思ひます。信者の方では、之程信仰するのに、どうしてもっと、御利益を呉れないんだらうか、斯んなに長く信仰してゐても、斯んなに苦しみがあると言ふ様に、思ふ嫌ひがある様でありますが、之は実際、不純な信仰でありますが、又止むを得ない、同情すべき点もあると思ふのであります。
罪があるから病気が治らぬ、其罪を除るには、之々の事をしなければならない等と言はれる事が、能くありますが、是等も一種の脅喝的であり、交換条件的で、面白くないと思ふのであります。」